日本女性の美意識に影響されラグジュアリーな世界へ。

Aその後、フランスの大学に。

ジュリー親は日本に残り、私だけパリに戻りました。まだ具体的なビジョンはなかったけれど、育った環境から、国際的なDNAを生かしたいと感じていたので、インターナショナルトレードが学べる大学でマーケティングを専攻。インターンシップではケラスターゼにお世話になりました。

Aやはり美容業界に関心が?

ジュリー日本女性の美意識の高さに影響され、ラグジュアリーな世界に携われたら、と。

Aそして卒業後すぐに、パルファム ジバンシイに入社されて。

ジュリーフランスを象徴するラグジュアリーブランドでありながら、格調が高すぎない。私の性格にもマッチする気がしました。面接では日本について熱く語ったのですが、後で聞いたら、それが採用のポイントだったみたい(笑)。

A将来を見越した日本枠採用!

ジュリー日本について教えて、と訊かれることも多く、チーム内では「外見フランス人、中身は日本人」と認識されていたようです。

優先すべきことが変わった! 出産がターニングポイントに。

Aパルファム ジバンシイ一筋で、まさに生え抜き。仕事に行き詰まったり、会社を辞めたいと思ったことはありました?

ジュリーフレグランスマーケティングというハードな部署でプロダクトマネージャーを務め、毎晩遅くまで働いていたときに、妊娠・出産。4カ月の育休後に復職したときは悩みました。フランスは働くママを応援する環境ですが、それでも仕事と家庭の両立は容易ではありません。でも私は、20時からのミーティングなど、できないことにはきっぱり「NO!」と。

Aフランス人は夕方には帰るイメージだったので、そんなに残業をしているとは、意外です(笑)。

ジュリーパリジェンヌはすごくタフだから。ホリデーは目いっぱい遊びますけどね(笑)。

A最終的には上司の理解が?

ジュリーいいえ。いつか私が諦めると思ってずっとプッシュされていたのですが、「NO」を言い続けて、結局ポジションをかわることに。フランスではキャリアアップの王道であるフレグランスから、メイクアップに異動になりました。

Aそれはかなり大きな転機。

ジュリー出産で優先すべきことが変わり、まさにターニングポイントでした。でもおかげでビジネスのいろいろな側面を見ることができて。ジバンシイでこういうキャリアの変遷は私だけなのですが、道が逸れたことは、後になって思うと私の人生にとって意味のある動きでした。

Aそれがあったから、今につながっているわけですし。

ジュリー本当に。結果的にメイクアップの売り上げが伸びて、アジアを担当することになり。グッドファイトでしたね(笑)。

Aそこからシンガポール、香港と、じわじわ日本に近づいて。

ジュリー第二の故郷に戻ってこられて5年。最高にハッピーです。