記憶と人生を巡るほろ苦い回顧録

 こう宣言したのち、自分の現在の年齢も明かさないまま、若かりし頃の自分を語り始める。

「学校時代のことにはあまり関心がない。ノスタルジアなど覚えようもないが、すべては学校で始まったことだから、いくつかの出来事には簡単に触れておく必要があるだろう。その出来事がやがて水増しされてエピソードになり、おぼろな記憶になり、時の経過による変形を受けながら事実になった。出来事そのものにはもう確信が持てなくても、少なくともそれが残した印象を忠実に語ることはできる。というか、私には、せいぜいそのくらいのことしかできない」

 全体の3分の1ほどは、主人公トニー・ウェブスターが自らの青春時代を回想するスタイルで語られる。“私”ことトニーは、コリンとアレックス、そして転入生のエイドリアン・フィンとつるんで青春を謳歌していた。

「当時、私たちはどこか囲われた場所に留め置かれているように感じていた。人生に向かって解放されるまで一時的に、と。解放の瞬間が来れば、人生が──そして、時間そのものが──スピードアップする、と。実は人生がもう始まっていて、すでにいくつかのアドバンテージをもらい、いくつかのダメージをくらっていることなど、知るよしもなかった」

 この回想のなかで、最も重要な位置を占めているのは初恋だ。今ほどに性に関しても自由ではなかった時代だが、“私”にはベロニカというガールフレンドができる。ちょっと挑発的で一筋縄ではいかない女の子だ。ある週末、彼女の実家に一泊滞在することになり、そのときの気まずい体験は、トラウマ的に彼の心に影を落とす。やがてベロニカと別れるが、その後、別の大学に進んだエイドリアンから、実はベロニカと付き合い始めたという手紙をもらう。だが、それからほどなくして、エイドリアンは自殺してしまう。

 やがて“私”は、職を得て、結婚し、娘が生まれる。だが、妻の浮気で結婚生活は破綻し、娘は嫁いだ。物語を語っている主人公は、今、引退して静かに一人暮らしをしている、というのが第1章までの話である。冒頭で現在の暮らしの種明かしをせず、物語の半分近くまで、自分の素性を明かさない。それでも読者を引きずり込んでしまうだから、ものすごい筆力だと言わざるを得ない。

 だが、本当の物語はここから始まる。第1章の末尾にはこう記されている。

「私は生き残った。『生き残って一部始終を物語った』とはよくお話で聞く決まり文句だ。私は軽薄にも『歴史とは勝者の噓の塊』とジョー・ハント老先生(※高校の教師)に答えたが、いまではわかる。そうではなく、『生き残った者の記録の塊』だ。そのほとんどは勝者でもなく、敗者でもない」

 第2章からは、記憶を巡るミステリーが本格的に展開される。初老のトニーに、ある日、弁護士から手紙が届く。ベロニカの母親セーラー・フォードが亡くなり、彼女がトニーにとある日記と500ポンドを残したというのだ。なぜ、一度しか会ったことのない昔の恋人の母親が遺産を残したのか。しかもその日記は、若き日に自殺したエイドリアンのものであって、その日記を渡すことを娘のベロニカが拒んでいるという。

 トニーは、連絡を取ることすら拒否しているベロニカのメールアドレスをなんとか手に入れ、この謎を解こうとする。だが、この謎の探究は、自分の過去を洗い直し、真実を再発見するという険しい道でもあった。青春時代を回想するのはノスタルジックな甘い体験かもしれないが、若き日の過ちや愚かさを突きつけられ、それらを認めることは、悔恨に向き合う苦い体験にほかならないからだ。

「私は──人生を注意深く生きてきた私は──人生について何を知っているだろう。(中略)これまで傷つくことの避け方を知っていると思ってきた男が、まさにその理由から、いまとうとう傷つこうとしている」