ヘイト・クライムを生むのは、グローバリズムへの恐れ

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――映画は2000年代のドイツで実際に起きた事件をモチーフにしているそうですね。

 トルコ人やクルド人を標的にした、ネオナチによる連続殺人テロで10人ほどが殺されたんだ。でも一番の衝撃は事件そのものじゃない。真相解明までの約10年もの間、警察や社会やマスコミが、事件をトルコ人やクルド人の社会の問題だと思っていたこと。被害者は被害者として扱われなかった。トルコ人だし、どうせ麻薬に関わっていたマフィアかなんかだろう――そんなふうに言われていたんだよ。映画は最終的には一人の母親の絶望を描いた物語になったけれど、脚本を書き始めた発端には、そうした状況に対する怒りがあった。

――現代は、そうしたヘイト・クライムに象徴される社会の断絶が、非常に大きくなっている時代だと思います。何か解決する方法はあると思いますか?

 僕らはグローバルな社会に生きている。僕は日本車に乗ってるし、君はドイツの映画を見てるだろ? その反面、グローバリズムでは、あらゆる面において経済的な要素が最優先されてしまうものだよね。そうした状況を受けいれて生きていくのは、多くの人にとって実際に大変なことだと思うよ。

 思うに君や僕のように、十分な教育の機会を得られた、リベラルで柔軟な考えを持てる人は、そうしたことをむやみに恐れないでいられる。でも世界の大多数――地方に住む保守的な層や、教育の機会に恵まれなかった人たちは、そうはいかない。グローバリズムで起こるさまざまな変化を恐れてしまうんだ。彼らはリベラルなリーダーに対して、「自分たちの思いを代弁してくれていない。対話すらしていない」と感じている。そしてなんとなく、恐怖を喧伝する政治グループに投票してしまうんだよ。

 思うに、我々や、リベラルなリーダーたちにできることは、彼らと対話することだ。グローバリズムを恐れている、普通の人たちとね。それが人種差別を減らし、恐れを減らし、政治の白熱を減らすことにつながってゆくと思う。

――アートには、そうした恐怖から人々を救い、ひとつにする力があると思いますか?

 僕は、グローバリズムはある種の進歩でもあると思っている。そもそも僕自身、グローバリズムの申し子だ。自分がやりたいことをやり、自分の感覚や気持ちを世界中の人とシェアすることができるのも、グローバリズムのおかげだから。

 そういう点において、僕は楽観的なんだよ。もちろん時間はかかる。物事も人間も、そんなに速いスピードで進化することはできないから。でも僕らの子供や孫の時代には、アートがそうした役割を果たせる世界になっているんじゃないか、とも思っているんだよね。