昨年のカンヌ国際映画祭 批評家週間での上映に続き、アメリカのインディペンデント・スピリット賞では新人作品賞、主演女優賞にノミネートされた話題作『オー・ルーシー!』。英会話学校に通うことをきっかけに変貌を遂げてゆく43歳OLの物語を作ったのは、42歳で長編デビューを飾った異色の女性映画監督、平栁敦子。第一子を出産した翌年、33歳で夢に向かって歩み始めた彼女が、作品を通じて問いかけるものとは?

映画監督への第一歩を踏み出すきっかけは、32歳の出産

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──映画監督への一歩を踏み出したのが、32歳で出産されたすぐ後ということに、少し驚きました。

 普通は反対じゃないかってよく言われます。私にとって出産したことは、出産以前とは違う世界にワープしたくらいの衝撃でした。赤ちゃんを育てるのは当然なんですが、ある部分で自分が死んだというか、そう言うと語弊があるのですが……自分よりも大切なものが誕生したので自分はどうでもいいと。でも「もうどうでもいい」というなら、逆に好きなことやったっていいじゃないか? と。ひょっとしたら単にホルモンの関係かもしれません(笑)。

──何か具体的なきっかけはあったのでしょうか?

 授乳しているときに感じた「引け目」のようなものです。授乳中の赤ちゃんって、お母さんの目にロックしてじーっと見つめてくるんですが、その瞳があまりにピュアでまっすぐすぎて。私はそれまで自分に正直に生きてきたつもりでしたが、その目を見たら「もっともっと自分に正直でありたい、堂々と彼女の目を見返せる人間になりたい」と思ったんです。それ以前から映画学校の大学院に通いたいと思いながら、毎年願書を出さないまま締め切りが過ぎていっていました。でもそのときに、今年はやろう! と。

 それとは別に、子どもがいる友人から「大きくなると、どんどん大変になる」と言われたこともありました。要するに子どもが小学生になると、学校行事やボランティアなどへの参加が増えていき、いろんなことがフレキシブルでなくなる。だから何かを始めるなら、むしろ赤ちゃんのうちだと。

 そういうわけで願書を出したところ、ニューヨーク大学のシンガポール校への入学許可が下りたんです。しかも3年間のスカラシップ(奨学金)付き。映画学校って本当に学費が高いから、それで行かないなんてことはありえない。当時は夫と一緒にロサンゼルスに住んでいたんですが……。

──シンガポールに住んでいたわけではないんですか?

 そうです。でも夫は、家族で行こうと言ってくれました。彼は以前にビジネススクール(大学院)に通っていたので、「今度は君の番だ」と、シンガポールへの転勤願いを会社に出してくれたんです。そうしたら現地にちょうどいいポジションが見つかって。 偶然や運に導かれるように、すべてがうまくいきました。何か扉がすーっと開いたような、不思議な感覚を今でも覚えています。