ファッション前衛時代にパリ駐在として クリエイションやビジネスに触れたのが自身の礎に

 そんなラグジュアリーグローバル企業の日本のトップを務める三木社長がこの世界に携わるきっかけは、新卒で入った樫山(現・オンワード樫山)が「ジャン・ポール・ゴルチエ」やセレクトショップ「ヴィア バス ストップ」を手掛けていた関係で、1991年から1998年までパリ駐在を務めたことだ。「ファッションの中心地で、クリエイションやビジネスに直接触れるという貴重な体験をしました。90年代初頭のファッションは本当に前衛的で、ランウェイに出てくるものが世界のトレンドとクリエイションをリードしていました。しかも、ファッション=洋服で、ラグジュアリーという言葉もまだ使われていませんでした」。70年代に表舞台に現れたジャン・ポール・ゴルチエやカール・ラガーフェルド、日本から挑戦した山本耀司や川久保玲、高田賢三らが活躍し、マルジェラやアントワープ6と呼ばれたドリス・ヴァン・ノッテンなどが続々とデビューするなど、「エキサイティングで本当に面白い時代で、ゴルチエのショーを見ながら涙が溢れたことも…。その感動やワクワク感が今でも自分のベースにあります」と振り返る。

 その後、1990年代半ばにかけて、老舗ブランドに大手資本が入り、ファッションのビジネス化やブランド・コングロマリット化が一気に加速。「バッグがファッションビジネスの主役に躍り出てきたのも、この時期から。ビジネスとしてのポテンシャルは高まったかもしれませんが、クリエイションの価値よりも、ビジネスが前面に出てくるようになり、時代が変わってきたなと感じましたね」。

 自身はパリで築いた人脈や知見などから、日本に帰国後、「クロエ」のダイレクトオペレーションを始めるタイミングでリシュモングループに参画することに。カール・ラガーフェルド、ステラ・マッカートニーに続き、フィービー・ファイロがデザイナーに就任したばかりの時期だった。「『クロエ』は『サンローラン』や『シャネル』『ディオール』などと同じく、服を起点としたブランドの一翼を担う老舗プレタポルテブランドでした」。ステラを起用し、パリを拠点とする新感覚のブランドとして存在感の発揮に成功。さらに、彼女のアシスタントだったフィービーが後を継いだ。「今思えば、“リアルクローズ”という言葉は、おそらくフィービーが創作した服が起点でしたね。それまでランウェイには、ブランドを表現するために、誇張したデコラティブなものが多く登場しました。ただ、憧れられる服であっても街なかで着るものとは一線を画していました。ところが、フィービーは、ランウェイで見せた服をそのまま店頭に並べて販売しました。ショーと店頭が一体化しているという点で、まさにビジネスに直結するイノベーティブなクリエイションを構築しました」。

 さらに、2004年にはバッグが大ヒット。「“イット・バッグ”と呼ばれた『パディントン』もデザインし、時代を築きました。最初は、南京錠や金具は付いていて重たいし、初めてショールームで見たときには売れるのかなぁと思っていましたが、欧州で大ヒット。その情報が日本にもフィードバックされ、連日問い合わせが寄せられ、ウェイティングリストは1000人にも達しました」。

「クロエ」では今年9月、新デザイナーのナターシャ・ラムゼイ・レヴィがパリでショーを披露。「バレンシアガ」時代にニコラ・ジェスキエールの右腕として働き、「エルメス」「アクネ」を経て、「ルイ・ヴィトン」のデザイン・ディレクターを務めていた人物だ。2018年春夏はカラフルなムードがトレンドになりそうだが、いち早く彼女のクリエイションをチェックしてみたいものだ。

表参道ヒルズ1階に旗艦店をオープンさせた「クロエ」。150㎡もあるゆったりとした売り場面積。