広島県福山市、鞆の浦のアトリエを拠点に活動するアーティスト、小林正人さん。<後編>では10年を過ごしたドイツ・ゲントでの経験と会得したもの、その作品の深部に迫りたい。

この星の絵の具で描く、この星の絵

アトリエの外、切り株のベンチに座って空を見上げる小林さん。

 ベルギー第三の都市ゲントが生んだスターキュレーター、ヤン・フートが東京を訪問したのは、1995年。ワタリウム美術館を中心に青山の路上や公園、店舗等を会場に彼が企画した展覧会「水の波紋」のためだった。その際、フートは小林の個展を訪れて、《画》を購入するとともに、彼をゲントに招いた。国内では頭角を現し始めていたものの、国際的には無名に近かった小林にとって、まさに千載一遇の出会いだった。

 ヤン・フートは、1986年にゲント市内50超の住宅を会場にした「友達の部屋」展を企画している。これは、企画者や作家だけでなく、会場提供者や観客なども主体的に展覧会に関わっていく、サイトスペシフィックな展示手法の先駆となった。美術館やギャラリーの閉じられた空間から、アートを社会へと開いていく、現在につづく大きな流れをつくった伝説的キュレーターといえる。

納屋での制作展示が話題になった、ゲント時代の作品。小林正人、Unnamed #15(Masato KOBAYASHI、Unnamed #15)1999、oil、canvas、wooden beam、480x300x230cm

 「空港まで迎えに来てくれたヤンは、ゲントに着いてから入ったレストランで、日本から制作にきたアーティストでよくしてやってくれと、テーブルを回って誰彼かまわず僕を紹介してくれる。そのとき、彼のアートにたいする信念を見せてもらった気がします。アートの専門家とか一般の人とか関係なく、いつも本気なんです」