前編では、世界の見え方が変わるような本を選んでくれた藤野可織さん。自身の新刊『ドレス』(河出書房新社)も、日常の範疇にある出来事を綴りながら、いつのまにか現実から大きくスリップした風景が浮びあがる。

朗らかで柔らかい印象とは対称的に、現実のグロテスクな部分を鮮やかに切り取る物語が多い。「美しさというのは大きな言葉。酷さや醜さは、美しさと対立するものではなく、本来そこに含まれるものだと思う。例えば、虫がぞわぞわ出てくるところをつい夢中になって眺めてしまう、あの感覚です」(藤野)。
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短篇集『ドレス』で描いた主題と世界とは?

――短篇集『ドレス』には、いずれも人びとの思い込みや常識を反転させる物語が収められています。とりわけ、性差に貼りついたイメージや役割を主題にしたものが多いですよね?

藤野 これまではずっと「小説を書いているあいだの自分は男でも女でもない」と思っていて、当然そうあるべきだとも思っていたのですが……実際は、どうしても女性として経験したことが混じり込んでしまう。だったらむしろ「素材」として積極的に使ってみようと思って書き始めた時期に発表したのが、ここに収められた作品です。

――どの作品も鮮烈でしたが、中でも象徴的な作品が「マイ・ハート・イズ・ユアーズ」という一篇です。男性の価値が「若くて可愛い」ことにのみ見出される世界で、妊娠と同時に男性の体はひと回り大きい女性の体に同化して消えてしまう。

藤野 これはチョウチンアンコウの生態をそのまま作品に転化した話なんですが、自分ではどちらかというとユートピアのつもりで書いたんですよ。でも、男性から見たら、とんでもないセクハラとパワハラが横行しているディストピアなんですよね。実際、私の夫はこれを読んで震えあがっていました(笑)。とはいえ、どれも現実に女性が言われていることばかりではあるんですけど。

――そういった性差にまつわる偏見や差別って、本人は無自覚であることがほとんどなんだろうなと。この作品の中で、自分の彼女が鉄くずみたいなイヤリングを身に着けているのを見た男が、思わず「大丈夫?」と口にする場面に、そういう意識が見事に表れていると思いました。「可愛い女の子がそんなものを身に着けるわけがない」と、生理的なレベルで思い込んでしまっているというか。

藤野 そうです、そうです。そのことに対する悪気も悪意もない。実は、彼女のアクセサリーに対する情熱がどんどんエスカレートしていく様子は書く前からイメージにあったのですが、ラストで彼がその指をなんとかあっためようとするっていう行動に関しては、書いてみて初めて出てきたことなんですよ。

――彼にとっては、それまで自分がさんざん拠り処にしてきた社会的な物差しから外れた行動をする瞬間でもある。

藤野 それは、おそらく恋ですよね。私、あの場面を書き上げたときに、初めて恋愛小説というものを自分が書けたんじゃないかって思えました。それに、わかりあえなくても、人と人って一緒にいるってことができるのではないかと。