素材に命が宿ると考える日本との出合いから開眼。「海」をテーマに定める

 ブルージュ郊外に、2012年からミシュランガイドの2つ星を守るレストラン「ドゥ・ヨンクマン」がある。緑に囲まれた一軒家。庭にはコンテンポラリーアートのオブジェが飾られている。ベルギーの現代アーティスト、ウィリアム・スイートラブ(William Sweetlove)が制作した、ペットボトルを背負う犬やペンギン、ワニが貼りついたゴルフボールなど、カラフルでアイロニーに満ちたオブジェが、穏やかな風景に、一石を投じているように見える。

 オーナー・シェフはフィリップ・クライス。ブルージュのそば、海沿いの町オスタンドに生まれ、そこにレストランを持つ料理人の父親のもとで育った。彼もまたミシュランの1つ星に輝く実力者で、クライスはそんな父の後ろ盾もあり、ヨーロッパの錚々たる3つ星レストランで修業を重ねる。そののち、2006年には今の店をオープンしたが、当初、自分自身の料理が作れずスランプに陥った。そんなとき、たまたま日本を訪れたのが転機になる。日本では、誰もが、素材に命が宿ると考え、料理に魂を蘇らせていたのに感激した。自分にとって魂を注げる素材は何か。そう反芻して行き着いたのが、彼にとっては「海」。父は料理人だが、祖父は漁師だった。「自分は海の血をひいているのです」とクライスは言う。

ローカルな魚に焦点を定めた「北海シェフ協会」を立ち上げる

 しかし魚の市場の現状はといえば、流通魚はいずこも同じ高級魚ばかり。安い雑魚には見向きもせず、水揚げしても海へ戻す。むろん、いったん水揚げされれば魚は命を落とす。クライスはこの状況を憂えた。「カレイやスズキなどの高級魚はどこでもとれるが、この雑魚にこそ、自分が生きる大地を表現できる個性があるはず」と。そう考えて2010年に『North Sea Chefs北海シェフ協会』を立ち上げた。今や1000人以上がメンバーという大組織となった。料理人たちが、ローカルな魚のプロモーションにあたり、レシピ開発などの提案を試みて、レストランなどへの流通を促す。扱う魚は45種類にも。メンバーの各人が、誇りをもって北海の価値を伝えていることに感動を覚えるのである。

 クライスは週に3度は漁港に足を運び、漁師たちとのやり取りに余念がない。メニューには、本日の魚料理を必ず組み入れる。訪れた日の夏の魚はPLIEというヒラメの一種で夏野菜と供された。水揚げされたばかりのヒメジは、オリーブオイルとレモンで軽く味付けし、さっとバーナーで炙る。しっかりと締まった食感と鮮度の高い脂身で、大根の薄切りとトマトのマリネにすっきりと合った。冬には、ブイヤベース風の魚のスープも人気だそうだ。味わったことのない魚料理との出合いに、北海の力、そして豊かさを見出す。

 さきほどのアーティスト、スイートラブにもどるが、偶然にもクライスと同じ町の出身で、2人は同志。一人はアートで、もう一人は料理を通して、エコロジーを考える大切さを謳う。そして、2人とも、北海のそばで、自然を畏怖し、そこに生きる人としての役割を考えている。たまたま大津波に襲われた傷跡から、交易に便利な港町となったブルージュという町の運命を、“海の血をひく”クライスの料理に重ねる。自然と人とが対峙するからこそ生まれる奇跡を、皿の中にも見るのである。

伊藤 文
食執筆家・翻訳家。著書に「フランスお菓子おみやげ旅行」、「パリを自転車で走ろう」、翻訳書にグリモ・ド・ラ・レニエール著「招客必携」、ジョエル・ロブション著「ロブション自伝」、フランソワ・シモン著「パリのお馬鹿な大喰らい」など。近著に「パリ、カウンターでごはん(2016年7月刊)。 日仏バイリンガルによる食のウェブマガジン&イベントプロデュース“DOMA”主宰運営(http://domapress.com)。2017年8月からはMAG2にて”美食大国フランスから、週刊食関連ニュース”を週刊配信。

Photos:Taisuke Yoshida Text:Aya Ito Edit:Yuka Okada

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