人が敷いたレールに乗るより失敗しても自分でやりたい。

Aそして西武百貨店に。

高倉セゾングループにものすごく勢いがあり、どうしても入りたくて。

Aそこでは何を?

高倉人事に直訴、が功を奏し、トレンド最前線のSEED館に配属されました。2年目には企画も。

Aファッションに興味があったのですか?

高倉洋服は好きでした。だから仕事は刺激的で、毎日面白かった。

Aなのに転職されたんですね?

高倉今度は「つくる」仕事がしたくなり、4年後に繊維の商社に。

Aそれでも飽き足らず、独立。

高倉30歳までに起業すると決めていたんです。子どもの頃から「高倉家の3代目」と言われ続け、自分で事業をと、刷り込まれていたのかも。人が敷いたレールの上を歩くのが嫌な性格だったし。

Aでもバブル崩壊後ですよね?

高倉最初は洋服のOEMを考えていたのですが、リスクが大きい。だから、海外から日本にまだ紹介されていない面白いものを持ってこようと。当時は欧州も米国の西海岸も日本人だらけだったので、東海岸に足を運び、NYでアロマセラピーのコスメを見つけました。

A日本ではまだ、アロマが認知されていない時代でしたね。

高倉まったくです。でも反響はすごかった。ソーホーのナチュラルショップで見つけたアイピローも、すごい勢いで売れました。その後、買い付け先をNYからオーストラリアに移し、「パーフェクトポーション」と出合ったんです。

妻の乳がんを機に、人にありがとうと言われる製品を。

A高級化粧品「ナチュラビセ」を扱い始めたのもその頃ですか?

高倉NYで話題だったので、日本の代理店になりました。什器一つでスタートしたのですが、飛ぶように売れましたね。

A順風満帆じゃないですか。

高倉やがて百貨店から声がかかり、東西2店同時にカウンターを出したんですが、そこからが大変でした。小さな会社なのにメガブランドと同じことを求められ、自分の手に収まらずコントロールできない状態に。出費もかさみ、10年間の蓄えをそこで全部吐き出したんです。

A商品は大人気なのに……?

高倉外から見えているものと中は大違いで、まさに自転車操業。自分のペースでやりたい、と起業したのに、続ける意味があるのかと。でもやめる選択もできず、僕自身も会社も疲弊していました。

Aジレンマですね。

高倉悶々としている時に、妻が乳がんになって。