“志高く”の営業マン時代。勤務後は英会話学校に。

Aそして、ライオンに入社。

魚谷留学制度がある企業を探していたんです。「愛の精神の実践」という社是も魅力でした。ところが、最初の仕事は営業。勤務後に英会話学校に通う毎日で、凹みそうになることも。

Aでも、夢を諦めることなく?

魚谷阪急電鉄の創業者の「志を高く持ちながら日々のことをしっかりやり遂げることが、その志に到達する近道である」という言葉に感銘を受け、毎日の業務にも工夫を凝らすようになりました。

ダイバーシティな環境で学び 世界の中の日本を意識する。

Aそして念願の社内試験に合格、29歳でアメリカの大学院に留学を。

魚谷1981年にニューヨークのコロンビア大大学院に留学しました。38カ国の学生、クラスの40%は女性。まさにダイバーシティそのものです。300〜400人いる学生の中で日本人はたった8人。当時はジャパン・アズ・ナンバーワンと称賛され、誰もが日本の仕事のやり方に興味津々の時代で、質問攻めに。でも私は単なる営業マンで、マネジメントの経験もありません。苦しまぎれに、直立不動から60度のお辞儀をして、「お客様は神様ですっ!」とやったら皆が感心してくれて(笑)。

A欧米にはまったくないビジネスの発想。驚かれたでしょうね。

魚谷何から何まで違うんです。例えば、アメリカでは仕事ができなければ即、ファイヤ(クビ)! ですが、日本はチームで補い合う。日本が得意とするチームワークは、実は早い考え方だった。その後、アメリカの経営者も、チームという言葉を使い始めたくらいですから。一方で、アメリカのカジュアルでストレートな雰囲気は、ビジネスにもいい影響を与えると思います。上司をファーストネームで呼ぶとかね(笑)。私自身、若い頃から意味なく抑圧されるのが嫌いだったし、日本の企業の昔ながらのヒエラルキーは苦手なので。

A留学生活で国際感覚を身につけ、MBAも取得。その後、外資系企業でキャリアを重ねられ。資生堂の社長就任のオファーには、かなり驚かれたそうですね。

魚谷マーケティングの顧問はしていましたが、クライアントからお誘いを受けるとは思っていなかったので青天の霹靂でした。でも今は、これまでの経験や人脈はすべてここにつながっていたと思えるほど、やりがいを感じています。キャリアの最後で資生堂に尽くす天命だったのではないか、と。