日本ハリストス正教会の中心的存在

 そもそもニコライ堂はその名のとおり、ロシアから正教伝道のために日本を訪れたニコライ大主教(当時は修道司祭)が建てた大聖堂だ。文久元(1861)年、24歳の時、単身シベリアから函館に渡ったニコライは、日本ハリストス正教会を創立し、50年に及ぶ長い年月を布教活動に従事。明治45(1912)年に日本で永眠した。
 当時の日本には専門の技師がいなかったため、シチュールポフに設計が依頼されたそうだが、その後、旧岩崎邸や鹿鳴館などを設計したコンドルが関わった経緯は、資料が残っていないため不明だ。
 大聖堂の正面には聖書を携えたイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)のフレスコ画が描かれているが、その手前には形が少し異なる十字架が。この十字架は八端十字架(はったん・じゅうじか)と呼ばれ、足台である下部の横棒がイイススから見て右側が上がっている。つまり、悔い改めた者は天国へ招き入れられるという希望を表したものという。
※「イイスス(Iisus)」とは、日本語の慣例表記にあたる「イエス」の、中世以降のギリシャ語に由来する日本正教会による転写。

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〈左〉入り口には、新約聖書『ヨハネによる福音書』冒頭部分が書かれた聖書を持つイイススのフレスコ画が。〈右〉門の上にも八端十字架を見ることができる。

 関東大震災ではドーム部分が崩れるほど甚大な被害を受けたが、現・鳩山会館の設計者でもある建築家岡田信一郎が、昭和5(1930)年に修復。ドームの屋根や窓の数、鐘楼の高さなど、完成当時とは異なる部分もあるが、意匠は忠実に再現されている。
 また、御茶の水にゆかりのある人ならば一度はその音を聞いたことがあるかもしれない鐘楼に吊るされた大小の鐘は、昨年9月にロシアから新たに10点以上届いたばかり。神学生や信徒の方により、土曜18時と日曜10時の礼拝時に鳴らされているが、神学生はロシアまで鐘の鳴らし方を習いに行ったというエピソードも。

銅板葺きの屋根が特徴の鐘楼。街に鳴り響く鐘の音が礼拝の合図だ。
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