40代女性、独身、チェーンスモーカー――その何がいけないの?

唐突に金髪のウィッグと“ルーシー”という名前を与えられ、戸惑う節子。
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──主人公の節子は、もとは30代の頃に撮った短編のキャラクターです。長編を撮るにあたって監督の実年齢と近くなっていますが、改めてわかったことなどありますか?

 節子の年齢が近づいたことで、新たに理解するということはなかったですね。むしろ脚本を書いているときから「私=節子」で、そこに年齢的な要素は関係していません。

 そもそも私自身が中身においては、いくつになっても子どもの頃からさほど変わっていないんです。もちろん年齢を重ね、環境も変わり、容姿も変わり、身体も老いてくるし、物事に対処するスキルも身についていますが、感じる部分は基本的に変わらない。このキャラクターはそういう感覚で書いていたと思います。

──日本の女性は「年齢」という要素に、反応しすぎているのかもしれませんね。

 それは本当にそうですね。海外で上映後にティーチイン(トークショーや質疑応答)をしたりすると、日本人以外には理解できない感覚があることがわかります。例えば“お局様”というカテゴリーに押し込まれ、貼られたレッテルに苦しんでいることとか。でもアメリカでは「40代女性、独身、チェーンスモーカー」なんてキャラクターは、「So what?(だから何?)」なんですよ。何がいけないの? 何が問題なの? 何が悲しいの? っていう。それはそれで個人が選んだ道であって、何かによって“追いやられた”という感覚はありません。そもそもOLっていう職業がないし。海外では、そういう意味で説明が必要だったりするので、カルチャーが違うんだなと思いますね。

──そういうふうに考える監督が、なぜ節子のようなキャラクターの悲しさを描いたのでしょうか?

 節子が感じる苦しさや窮屈さは、個人の資質や適性より、形式やヒエラルキーが大事とされる社会に生きる人であれば、誰でも感じていることだと思います。それを私が理解できるのは、私自身、アメリカに来たばかりの頃に感じたことだから。当時は英語が全く話せず、周囲からは「静かな女の子」と思われていたんです、本当は全然違うのに。ですから「周囲が決めつける自分」と「本来の自分」の間で葛藤する人の内に秘めていた本当の思いを、思い切り叫ばせたかった。そうしたらどうなるかな、って。40代の独身OLとか留学中の女子高生とかは関係ない、そういう息苦しさに縛られている人を描いた映画だと思います。