日本人の原初的な自然観、宗教観が残存する杜

 三輪山の麓にある「大神(おおみわ)神社」は、今でも神祀りの祖型を守り続けています。ここには神なる山を拝むための“拝殿”はあっても、本殿というものがありません。

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大神神社には高さ32.2mの大鳥居の他、一の鳥居と二の鳥居、さらに拝殿奥の三輪山との境の三ツ鳥居がある。写真は一の鳥居。昭和天皇来訪にともなって現在の大鳥居ができる前は、一の鳥居を大鳥居と称した。

 意外に知られていませんが、(祭典など行事がない場合に限り)申請して「三ツ鳥居」を拝観することができます。二拍手の響きの後、頭(こうべ)を下げ、御幣(ごへい)でお祓いをしていただき、拝殿の中を歩み進みます。すると奥に光が遮られてひっそりとした狭い空間があり、そこに三ツ鳥居が神秘的に佇んでいました。

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古代、神事には「神酒(みき)」を醸造することも含まれた。遡れば、酒を入れる須恵器などの容器は“みわ”と呼ばれ、神酒も“みわ”と呼ばれていた。大神神社は酒造家から尊崇(そんすう)されている神社でもある。

 明神型の鳥居が三つ組み合わさって一対となり、その両脇に瑞垣(みずがき)が整えられ、これを結界として、神の籠もる御山、御神体を拝みます。昭和33年にこの三ツ鳥居の真下から「子持勾玉(こもちまがたま)」が見つかり、500年代中頃には、実際にここで祭祀が行われていたことがわかりました。

 1月1日の御神火祭(繞道祭:にょうどうさい)には、宮司以下、数名の神職が禁足地へ入り、神様から忌火(いみび)を頂き、その時だけ三ツ鳥居に付属する扉が開けられて、御神火はそこをくぐって出(い)だされるそうです。

古墳時代に既に存在したと言われる古道を歩く

 大神神社の境内を出て、今度は日本最古の古道とも言われている「山の辺の道」を歩いていきました。川端康成の小説のタイトル『山の音』ではありませんが、風や鳥の声、雷(神鳴り)の響きなど、この道では山の神の“音連れ”に出合えます。

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山の辺の道(南コースと北コースがある)は自然の地形に沿ってできた古道で、沿道には神さびた社や古寺、古墳などが点在する。また大和三山、遠くに二上山、葛城山、金剛山も眺望できる。

 しばらく歩いていくと、大神神社の摂社(せっしゃ)の一つ「狭井(さい)神社」があり、唯一ここに頂(明治以前は禁足地)への登拝口があります。

 もともと神社の“建造物”は、大陸伝来の壮麗な仏教寺院に触発されて造られるようになったもの。それ以前は、“カミ(自然神や祖霊)”は一つの場所に常住しているのではなく、どこからかやって来て、祭祀の時に「依り代(よりしろ)」へ憑依(ひょうい)する存在であると捉えられていました。

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狭井神社の「薬井戸」の御神水は万病に効くとされ、「久すり道」という参道の両脇には、名だたる製薬会社の社名入りの灯籠が並ぶ。4月の「鎮花祭」(薬まつり)も1300年以上の由緒がある。

 人為的でこれみよがし的ではない依り代は、原初信仰の表徴(ひょうちょう)と言え、岩による依り代は「磐座(いわくら)」と呼ばれて、三輪山の山中にも「辺津(へつ)」、「中津(なかつ)」、「奥津(おきつ)」といった磐座が存在しています。

 大神神社には、平安時代より以前は鳥居もなく、平安時代でも鳥居だけが立っていたと推定されています。