伝承の数々から読み解いていく、日本の原郷

「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまごも)れる 倭しうるはし」。

 この有名な和歌にある「まほろば」とは、素晴らしい、住みやすい場所といった意味合いを持っていますが、この地には、人々の生活を守護する神と、神を仰ぐ人々との深い絆が、神代より根付いています。

 大神神社の祭神は、国津神(土着の神)である「大物主神(オオモノヌシノカミ)」。 “大”は美称、“物”は “物の背景にある霊・魂”、つまり“神の原初態”であり、“主”は“主宰者”。よって“全てを支配する神格”という意になります。三輪山の原初の民間信仰では“蛇”の姿をした神として崇められてもいたようです。

 また大和政権の成立において、“出雲”と“三輪”との関わりがあったことを暗示するかのように、『日本書紀』では有名な出雲の「国づくり」神話に登場します。それは出雲の神で、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の系譜にいる大己貴神(オオナムチノカミ:大国主神)の“分身”として、国づくりに貢献し、三輪山に鎮まったとされています。

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境内の大注連(しめ)柱。昔は参道の木に注連縄がかけ渡されていた。大神神社の注連縄は、通常とは左右逆に“綯(な)い始め”と“綯い終わり”が張られているが、出雲大社もこれと同様。

 さらに大物主神は後代、第10代天皇の崇神(スジン)とも関わりを持ち、先々妻となる倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)に憑依したり、崇神の夢に現れて神託するなど、怖(お)じ畏れる存在としても登場します。

伊勢神宮創建の契機となった出来事

 学校の教科書での扱いはそれ程ではありませんが、日本の歴史を語るうえで、崇神天皇(「天皇」という称号はまだなく、「大王(おおきみ)」はとても重要な存在です。

 3世紀中葉もしくは4世紀始め頃の古墳時代に実在したのではないかと見られています。 『日本書紀』によれば、崇神は三輪山の麓に磯城瑞籬宮 (しきみずがきのみや) を営み、伊勢神宮に祀られている天照大神は、もともとこの宮中に倭大国魂神(ヤマトノオオクニタマノカミ)と一緒に祀られていたとされています。

 ところがその頃、疫病が流行り、人民の謀反も起きて世は乱れ、その原因が先の二神の“同殿共床”にあると神託を受けた崇神は、この二神を宮廷外に遷して、別々に祀ることにしたのです。

 祭政一致の時代は、祭祀を司り、世を平定することこそが、権力者の使命と言えます。 崇神は、皇女である豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に命じて、倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)と呼ばれる、推定では現在の檜原(ひばら)神社付近の地に天照大神を祀らせました。

 また大物主神をしっかりと祀るために、大物主神の系譜にあって、三輪君(氏)に続く大田田根子(オオタタネコ)を探し出しました。その後裔(こうえい)が大神神社の神主を務めていきます。

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大神神社の摂社・檜原神社の祭神は天照大神若御魂神(アマテラスオオミカミノワカミタマノカミ)。三ツ鳥居は大神神社の拝殿のものと同形式。昭和61年には豊鍬入姫命を祀る豊鍬入姫宮(写真左)が創祀された。

 続いて、第11代・垂仁(スイニン)の時代に、皇女である倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が御杖代(みつえしろ)となり、天照大神は鎮座する地を求めて諸国を巡り、やっと現在の伊勢神宮の地に辿り着きます。これが伊勢神宮創建につながるストーリーです。倭笠縫邑は「元伊勢」と呼ばれるようになりました。

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山の辺の道には『万葉集』の歌碑などが随所に設置されている。檜原神社から程近くには、川端康成の字による歌碑もある。井寺池(いでらいけ)には三輪山が映り、川端はことのほかこの風景を好んでいたという。

 三輪山山頂、奥津磐座の下にある、摂社・高宮(こうのみや)神社(祠)には、太陽信仰を想起させる「日向御子神(ヒムカイミコノカミ)」が祀られています。

 そして春分と秋分の頃。朝、檜原神社から三輪山を望むと、三輪山の頂から朝日が昇り、夕刻、檜原神社の鳥居越しに二上山を望むと、二上山の鞍部(あんぶ)へ夕日が落ちていきます。

 檜原神社付近が「元伊勢」となっていること、崇神天皇が大物主神の祭祀を行ったことなど、神話として記されていくことには、歴史上、表には出ていない真実や意味が隠されていそうです。

 まだ文字もなく、起こった出来事も書き記されていなかった、遠く遠くの古代ミステリーに思いを巡らせながら、大和国原の旅は続いていきます。

木下真理子
書家。雅号は秀翠。
木下真理子 6歳より祖父の影響で筆を持ち、専門的な知識と高度な技術を習得するために、書道の研究では第一線として知られている大東文化大学に進学。漢字文化圏である東アジアで受け継がれてきた伝統文化としての書を探求。古典研究の専門分野は「木簡隷」。篆書、隷書、草書、行書、楷書の漢字五書体を書き分け、漢字仮名交じりも書する。近年は現代美術としての書作品の制作にも取り組んでいる。映画『利休にたずねよ』、NHK『にっぽんプレミアム』、『正倉院展』などに関わる題字を数多く担当し、海外プロジェクトやエッセイなどを通して日本の伝統文化の魅力も幅広く伝えている。
公式HP: https://kinoshitamariko.com/blog/

取材協力:Oomiwajinja , Machiya Guest House Mimoro(TEL:0744-35-2705)

Photos:nanaco 

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