最初に修業させてもらったお店は、いわゆる人気店でした。「ここで頑張れば菓子屋として将来もうまくいくよ」という先輩たちの言葉を信じて6年半働いたんですが、あるとき初めて外に目を向ける機会がありましてね。とあるコンクールだったんですが、「なんだ、世界はもっと広いじゃないか」と。折しもパティシエ・ブームが到来しており、「自分なりに」今までにないスタイルで仕事をしていこうと考え方が変わったんです。

 それは海外で勉強するのではなく、日本で修業しながらコンクールに出て──世界を目指すスタイル。また、勤め先もレストラン併設のパティスリーに移り、コースの最後を飾るデザートとしてのお菓子文化を学びました。そうこうするうちに国内外で「君は異端児だね」と言われだして。35〜37歳くらいのことです。

お店のショーケースでひと際目をひく、ピスタチオとフランボワーズのケーキ“エメロウド”。「美味しければ形はどうでもいい。味は見た目じゃないという人もいますが、僕自身は美しさと美味しさは同居すると思っています。美しいものは必ず美味しい。だから美しいお菓子をつくりたい」と和泉シェフ。これはどこかビューティにも通じる考え方かもしれない。人目をひくほどの輝きにはちゃんと理由が……そのための努力と過程が必ずあるのだ。

 退職し、フリーになったのですが、すぐに自分のお店を開くことはなかった。怖かったんですよ。周りは褒めてくれるけど、これでいいのかな? と。そこで、3年ほど世界を回りました。もっと知識を入れたくて、欧米だけでなく途上国も訪ねて甘いものを食べました。また、ファッションショーを手伝ったりなど、とにかくいろんな分野の人と会って仕事をしたんです。今までの自分を正しいと思わず、ゼロにする。すると、いかにそれまで「フランス菓子」「日本の菓子屋」に囚われていたかがわかって、初めて本当の自由を手に入れた気がしました。

 6年前に店を持ち、海外でも仕事をする現在ですが、できるならもう一歩先にいきたいですね。「僕らしく」なりたくない。「自分」になっていくのが嫌。叱咤してくれる人もなかなかいないから、自分でぶっ壊していくしかないんです。だから習得した技術も、隠さずすべて後輩に教えます。ストックも、頭の中も空にして先にいかないと。もうずっとそれの繰り返しですね。逆に、それができなくなったら辞めようと思っています。

和泉光一
東京・代々木上原のパティスリー「アステリスク」オーナーシェフ。1970年愛媛県生まれ。調布の名店「サロン・ド・テ・スリジェ」のシェフ・パティシエを長年務め、 2012年より現職。コンクール受賞歴、メダル獲得数も多く、 2005年 ワールドショコラマスターズ日本代表、総合3位など。 2006年 WPTC日本代表キャプテンを務める。

Photo: Hironobu Maeda(STIJL) Editor: Aya Aso