日本遺伝学会は、昨年、遺伝学の分野のさまざまな用語の改定を決めました。代表例は「優性」「劣性」で、これは今後、それぞれ「顕性」「潜性」に改めます。医療や研究の場で使われる言葉や、教科書の表記なども、順次変わっていくはずです。

「優性」「劣性」は、「メンデルの法則」からのなじみ深い言葉でしょう。グレゴール・ヨハン・メンデルが、1865年に発表した遺伝学の礎というべき発見のひとつで、それぞれ英語の「dominant」と「recessive」の訳語です。久しぶりに思い出した人もいるかもしれませんので、「血液型」を例に説明しましょう。

 あなたの血液型がA型だとします。お父さんがO型、お母さんがA型なら、あなたはお父さんからO型の遺伝子、お母さんからA型の遺伝子を受け継いだと考えられます。AとO、2種類の遺伝子が共存したとき、その人の血液型はO型ではなく、A型になる。A型の性質が優先的に現れるわけですね。こんな状況を、遺伝学ではA型を「dominant」、O型を「recessive」と呼びます。

 ところが日本では、これに「優性」「劣性」という“訳語”がある。するとまるで、A型とO型に優劣があるように聞こえませんか? でも本来、これは優劣を付けるための言葉ではない。そこで、よりニュートラルな日本語に改めようと「顕性」「潜性」としたのです。

 
「赤いものを集めて、写真に撮ろう」となったとき、文房具店で、インテリアショップで、野菜売り場で、思わず、考えてしまう。果たして、私が選んだ「赤い」これらは、誰にとっても、赤いのだろうか? あなたのチョイスはきっと違うはずだし、10人いれば10通りの赤いものが集まるだろう。「言葉」は、ヒトの最大の発明のひとつといわれるけれど、ときに、それに縛られてしまうこともある。それも、そうとは気付かぬうちに。

 遺伝学が日本に入ってきたのは100年ほど前。欧米の学問や技術が続々と輸入されていた時代で、当時の日本にないモノや概念を取り込む際、先人たちは訳語を考案し、ときに造語もしてきた。その中には、いま見返すと、本来の趣旨と異なる意味を持ってしまったものも少なくない。遺伝学における「優性」「劣性」は、まさにそんなケースなのです。

 言葉は、その語感やイメージで、人の思考や価値観に思わぬ影響を与えます。とりわけ「優性と劣性」「善玉と悪玉」「正常と異常」のように、ものごとを二つに色分けする表現には、極めて注意が必要だと、私は考えています。

 人間の思考は、世界を二色に分ける言葉が大好きです。サイエンスの用語に限らず、健康・美容情報からテレビの時代劇や戦隊モノまで、世の中はこの種の「二元論思考」であふれています。でも現実の世界は、そんなに単純ではない。あるときは「悪」でも立場や環境が変われば「善」になるし、「どちらとも言いがたい」ものもある。自然界は、二元論的ではなく、「多様性」でできているのです。

 それを明らかにしたのが、1990年代のヒトゲノム計画。人間の全DNA配列の解読を目指したこのプロジェクトが始まったころ、多くの人が「DNAさえわかればその人の素性は全て解明される」と考えていました。病気の遺伝子がわかるから予防策もわかる、と。でも実際にDNAが読まれてみると、健康な人でも“病気の遺伝子”をたくさん持っていたりして、一筋縄では理解しがたいものだったのです。そこから、問題はむしろ“病気の遺伝子”という二元論的な解釈にあることがわかってきた。白黒をつけるような思考パターンを脱して、「多様性」に根ざした見方をしないと本当のことは理解できないと、気付いたわけです。

 多様性とは、「いろいろあって、どれもがOK」ということ。この世界は「どれかが正解でそれ以外は異常」という構造ではなく、いろいろあるのが当たり前。そこから、個性や豊かさが生じます。それを二元論的にバッサリ分けると、大切な部分が切り捨てられてしまう。

 今回の改定では、「色弱」や「色覚異常」という言葉を、「色覚多様性」へと改めます。色彩を感知する遺伝子は非常に多様ですから、色彩感覚は人によってかなり違います。例えば、画家のゴッホなどは、大変に個性的な感覚の持ち主だったのでしょう。そんないろいろな個性の中に、赤と緑を見分けにくい人たちもいる。その割合は、日本人男性で5%程度、白人男性では8%ほど。これは左利きの人の割合(約10%)と大差ない。左利きを“利き腕異常”とは言わないように、色彩の感覚も、多様性の一環なのです。

 もちろん、二元論思考にもいいところがある。世界を単純に解釈するから、効率がいい。そんな省エネ思考の能力が、人類の発展を支えてきたのも事実でしょう。でも一方で、単純化によって、大事なものが見落とされ、不安や差別が助長された面もあるのです。実は、今回の遺伝学用語改定に際し、さまざまな文献をあたったところ、当初から「顕性」「潜性」も訳語の候補だったことや、わかりやすさやインパクトの強さから「優性」「劣性」に軍配が上がったことがわかっています。当たり前のように使っている言葉には、例えばそんな歴史もあるのです。「言葉による思考の支配」から解き放たれてみてはいかがでしょう。

小林武彦
1963年横浜生まれ。九州大学大学院修了(理学博士)、基礎生物学研究所、米国ロッシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所を経て、東京大学定量生命科学研究所教授。日本遺伝学会会長。高校時代はフランス語を学び、女優のソフィー・マルソーに夢中だったが、生命科学の面白さに魅せられて生物学者を目指す。何を研究するかより、何を研究したいか、知りたいか、といった問題意識の発掘に重点を置いた教育、研究活動を心がける。

Photo: Yoshiaki Toda Text: Masahi Kitamura Editor: Yuko Sano