『日本書紀』の伝説が示唆していること

 しとしとと乱れなく降り注ぐ雨は、栄枯盛衰の歴史の語り部のようです。足元には小さな水たまりが生まれ、雨は二拍手の余韻をともなって、水面に消えていきます――。

 2020年は、現存最古の正史『日本書紀』が720年に完成してから、1300年という節目の年にあたります。

 この『日本書紀』成立の背景には、編纂当時、権力者として上り詰めようとしていた不比等が、藤原氏の存在感や天皇家の正統性を示そうとした、また第40代・天武天皇の皇后であり、第41代天皇となった女帝・持統(ジトウ)が、“天照大神”に自身を重ね合わせようとした、そんな目論見が透けて見えるとも言われています。

神功皇后の時代、百済から献上された「七枝刀(ななつさやのたち)」とみられる「七支刀(しちしとう)」も収蔵。剣身の銘文から“西暦369年”製作と推測され、『日本書紀』の紀年と異なる点に注目。
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 また天照大神が“皇祖神”となったのは、大海人皇子(後の天武)が「壬申(じんしん)の乱」において、天照大神に祈願して勝利したことによるという説もあります。“天皇”の称号もこの天武の頃より頻繁に使用されるようになったとのこと。

 書名に“日本”という国号が入る『日本書紀』の編纂時期に、太陽信仰が“三輪”から“伊勢”へシフトしたとする見立ても、当たらずとも遠からずと言えるのかもしれません。

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平安後期、白河天皇が寄進したものと伝えられる拝殿は、現存最古の遺例で国宝。石上神宮が再び“神宮号”を名乗ることを許されたのは、1883年(明治16年)のこと。

 『日本書紀』の記述でもう一つ興味深いことがあります。それは初代・神武天皇と第10代・崇神天皇の二人が、それぞれ「始馭天下之天皇」「御肇國天皇」と表記されていることです。いずれも「ハツクニシラススメラミコト」と読み、“初めて国を治めた天皇”と解釈されることから、これはあくまで“学説”としてですが、神武天皇は伝説上の存在で、実は崇神のことではないかといった説があります。

 その上で再び『日本書紀』に目を向ければ、神武が九州から大和に赴いた「神武東征」より先に、物部氏の遠祖とされる饒速日命が天磐船(アマノイワフネ)で天降りて、大和の地を治めていたこと、また神武が同じく天津神(高天原に住む、あるいはそこから降臨した神とその子孫)である、この饒速日命から位を譲り受けたと記されていることにも、意味があるように思えてきます。

 神話として描かれている出来事と、実際に繰り広げられていたであろう出来事をオーバーラップさせて捉えることで、おぼろげに見えてくることがあります。

 もし、大和朝廷が崇神天皇から始まり、三輪山や纒向遺跡が初期大和政権の舞台だったとしたら……。

 8世紀始めに、神代から持統天皇の代までまとめられた『日本書紀』ですが、さまざまな神が綴られていく経緯には、時の権力者の偶像化だけではなく、氏族たちの強力な存在感を無視できなかったということもあったと推察されます。また『日本書紀』には出てこない事柄(例えば邪馬台国や卑弥呼など)についても、あえて記さなかったということが考えられ、記述の有無をもって簡単に否定することでもないように思います。

今もなお継承されている宮中祭祀

 その一方で、物部氏の伝書とされる『先代旧事本紀』については、歴史の表舞台から消されかけていた一族の存在を、なんとか後世に伝えようとして記されたものだったのかもしれません。

 そこには、饒速日命の御子である宇摩志麻治命(ウマシマジ(チ)ノミコト)が、神武天皇と皇后の聖寿の長久を祈る際に、先の十種神宝を用いて斎行(さいこう)し、これが「鎮魂祭(みたまふりのみまつり)」の初めとなったと記され、遠い昔、物部氏が天皇家の祭祀を専管する地位にあったことを伝えています。

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石段の上に摂社の天神社、七座社、出雲建雄(たけお)神社、猿田彦神社がある。毎年、宮中祭祀で最重要とされる新嘗祭(にいなめさい:11月22日)の前夜、鎮魂祭が天神社、七座社での例祭から執り行われる。

 驚くべきことに、石上神宮の鎮魂祭(新天皇即位の今年は11月14日の“大嘗祭(だいじょうさい)”の前日)において奏上される「祓詞(はらえことば)」は、天皇家の宮中儀礼で今なお継承されているということです。

 この祓詞は、罪穢(つみけがれ)を祓い清めるもの。罪穢が溜まると心身が消耗して死んでしまうと考えられていたため、十種神宝を持って“ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たりや… ふるべ ゆらゆらと ふるべ…”と唱えることで、病にかかった者や瀕死者が生き返るとされてきました。

木下真理子
書家。雅号は秀翠。
木下真理子 6歳より祖父の影響で筆を持ち、専門的な知識と高度な技術を習得するために、書道の研究では第一線として知られている大東文化大学に進学。漢字文化圏である東アジアで受け継がれてきた伝統文化としての書を探求。古典研究の専門分野は「木簡隷」。篆書、隷書、草書、行書、楷書の漢字五書体を書き分け、漢字仮名交じりも書する。近年は現代美術としての書作品の制作にも取り組んでいる。映画『利休にたずねよ』、NHK『にっぽんプレミアム』、『正倉院展』などに関わる題字を数多く担当し、海外プロジェクトやエッセイなどを通して日本の伝統文化の魅力も幅広く伝えている。
公式HP: https://kinoshitamariko.com/blog/

取材協力:Isonokamijingu , Kunaicho , Machiya Guest House Mimoro(TEL:0744-35-2705) photos:nanaco

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