パリで若くして3つ星を獲得した世紀の料理人、ジョエル・ロブション氏。衝撃の引退後、愛弟子たちの熱い想いに応え再度返り咲き、世界で最も星の多いグラン・シェフとして君臨する、彼の生き方に迫る。

※本記事は2018年3月にパリで行った取材をもとに執筆したものです。2018年8月6日、ジョエル・ロブション氏は逝去されました。私たちに未来の展望を笑顔で語ってくださった偉大なる巨匠が、志半ばにして旅立たれたことは誠に残念でなりません。心よりご冥福をお祈りいたします。[2018.08.07]

「料理を作ることは人を愛することに等しい」

パリのラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション・エトワールで供される料理の一例。〈右〉オマール海老の一皿。獺祭の大吟醸がよく合う。〈左〉ビオの卵を用いた料理。
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 パリの稀代のシェフ、ジョエル・ロブション氏が「完璧な味とサービスを求め、最高の状態で辞めたい」と、パリの3つ星レストラン「ジョエル・ロブション」を閉店、引退宣言をし、世界の料理シーンに衝撃が走ったのは1996年の夏のことだった。あれから22年の歳月が流れ、気づけばロブション氏は、今や合計27の星を獲得し、世界中で最も多くの星を持つグラン・シェフに返り咲いていた。

 今年4月には、パリのフォブール・サントノレ通りに日本酒「獺祭」の蔵元、旭酒造とパートナーシップを組むレストランバー「ダッサイ・ジョエル・ロブション」をオープンと、新しいニュースもある彼に、現在までの経緯と心境を尋ねた。

「私はフランス西部のポワティエに生まれ、12歳から14歳まで中等神学校に通っていました。そのとき、修道女の料理のお手伝いをし、その時間がリラックスした楽しいものだったことを覚えています。父が左官業だったので、私は本当は建築家になりたかったのですが、家庭の事情で仕事に就かなくてはならず、この神学校での思い出が料理の世界に入るきっかけになったのかもしれません」

 そう、一つひとつ言葉を噛み締めながら語るロブション氏。15歳で地元のレストランに見習いとして入り、料理の技術の基本を習得。21歳のときに「コンパニョン(同業者組合)」に入会し、職人の手仕事の大切さや仕事への情熱を学ぶこととなった。パリのいくつかのレストランで修業しながら、料理のコンクールで何度も入賞するなど、才能を発揮。28歳のときに「ホテル・コンコルド・ラファイエット」の総料理長に就任し、31歳でMOF(フランス国家最優秀職人章)の称号を受けた。

「その頃、今年逝去された料理界の重鎮のポール・ボキューズ氏から日本に行ってみないかという誘いを受け、料理専門学校に招聘され、初めて日本を訪れました。日本の懐石料理の、季節に合わせて食器を替え、旬の食材を使うというスタイルに大変驚きました。それ以降、私は40回以上も日本を訪れているのですが、日本は各分野において優れています。仕事に対する厳格さ、他人に対する敬意、自然に対する作法など、繊細さとエレガントさを兼ね備えていて、私に多くの影響を与えた、最も好きな国です」

 ロブション氏は81年、36歳のときに独立。パリの16区に「ジャマン」をオープンした。

「オープンして1年目でミシュラン1つ星、2年目に2つ星、そして3年目に3つ星を獲得。私の料理人生のなかで最も大切なひとときとなりました」

Joël Robuchon
1945年、フランスのポワティエ生まれ。15歳で料理の世界に入る。76年にMOF(フランス最優秀職人章)受賞。81年に独立。84年ミシュラン3つ星を獲得。96年に引退後、2003年復帰。以降、世界各国に店舗を展開中。