恋愛の狂気の中で見えてくる、「自分さえ知らなかった自分」

柴崎:小説は朝子の一人称で描かれているんです。彼女の主観的な視点で奇妙なことが積み重なっていき、だんだん信用できなくなっていくところに「ホラー」を感じる人もいるかもしれません。「朝子ってこんな子だったの?!」という。

濱口:後半、朝子はとんでもないことをし始めますよね。でも、僕自身がそうだったんですが、小説ではむしろ「朝子ってこういう子だよな」と感じる人もいるんじゃないかと。映画のほうが「こんな子だったの?!」と思う人が多いかもしれませんね。

[画像のクリックで拡大表示]

柴崎:小説だと彼女の内面の不安定さが感じられるんですよね。でも映画のほうは、特に亮平と出会って付き合い始めてからは、ちゃんと生活しようとしているところがあるし。

濱口:だから、やっと行動したと思ったら「こんなことをするとは!」みたいな。

柴崎:彼女の行動に関しては賛否両論いろいろあると思います。

濱口:朝子は本当にいろんな、ジグザグとした行動をとるわけですが、その全部が打算でなく、心からの気持ちで動いているだけなんですよね。そうせざるを得なかったというか。

柴崎:朝子はそのときの自分の気持ちに従って行動したら、「やらかしてしまった」という人なんです。今の時代ってそういうことができる人――普通の生活を踏み外してしまえる人って少ないですが、恋愛であればそれができる。「やらかす」口実として認知されている、貴重な機会だと思います。

濱口:確かに、すごく淡々と社会と調和してきた人が恋した途端にやらかしてしまうのは、多くの人が納得できることとしてあると思いますね。「あいつが! やっちまったか!」というような。

柴崎:「意外~!」みたいな!(笑)。

[画像のクリックで拡大表示]

濱口:この間、最近結婚されたある作家の方が、奥様と一緒にテレビに出ていたんです。以前はちょっと迫力のある硬派な感じだったんですが、本当に“ふにゃあっ”とした顔になっていて。恋愛って人間を一変させてしまうんだなあと。それまで保っていた「自分はこういう人間」が芯から崩れてしまうような、恋愛ではそういうことが簡単に起こってしまうんですよね。それまで「こうであるのが当然」と思っていたことが、全然通らなくなる。

柴崎:そうそう。だから怖いんだけど、そういうときにしか見えてこないもの――自分自身も気づかなかった自分、「自分にはこんな面があったんだ」というのが見えてくる。そして、戸惑いながらも、そこで何をどう選ぶか。衝動に身を任せるのか、別の道を選ぶのか。それがその人の人生なのかな、という気がします。