「“純度100%の幸せ”以外は幸せじゃない」と思うからしんどい

──現代は「何が幸せなのか」が見えにくい時代なのかもしれません。

 私の両親世代は「戦後の焼け跡から先進国へ!」みたいな時代で、「マイカーを持つ」「郊外に家を建てる」「子供を私立の学校に入れる」みたいな割とわかりやすい条件で、「幸せ認定」できるところがありました。でも今の時代は夫婦像が多様化していて、何をクリアしたら自分を「幸せ認定」できるのかわかりにくいんですよね。

──小島さんご自身は、「これでいいんだ」と思うようなきっかけがあったのですか?

 きっかけというよりは、ある種の諦めでしょうか。20代の頃は「一度きりの人生だから幸せにならなきゃいけない。それも周りから“いいもの手に入れたね”と言ってもらえるような幸せでないと」と思い込んでいたんですよね。

 でも結婚って生身の人間同士のものですから、そうは思えない瞬間や出来事っていっぱいあるんです。それでも「私の結婚はほかよりも幸せ」と信じたくて、いろいろなことに蓋をしていたんですが、今度はそのことが苦しくなってきちゃって。40代になって「結婚相手を間違えた、こんなはずじゃなかった」という思いが、わーっと噴出してしまって。

 でもそうしているうちに、恨み言を言うのにも疲れてきて。そもそも「純度100%の幸せじゃなければ失敗」と思うからしんどいんで、純度の低い“濁り酒”みたいな結婚でも“幸せ”と呼んでしまえばいい、周囲が羨ましいと思ってくれなくても、「これもアリ」と言ってしまえばいいじゃないかという気持ちになったんですよね。

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──年を重ねて力が抜け、諦めもありながら、着地していったというような?

 そうですねえ。あの、よく行く六本木のカフェで平日の昼間にお茶している、いかにも富裕層っぽい老夫婦がいるんです。ご夫婦揃ってきちんとした身なりで、きっと子供たちもいい学校を出て独立し、きっと何の悩みもない。本当の勝ち組か! 妬ましい! とか思うんですが(笑)、でもそんな二人が何でつながっているのか? を考えたとき、必ずしも「愛」ではない気がするんです。夫は食べ終わると会計を済ませ、妻を待たずにさっさと店を出て、妻は慌てて立ち上がって夫を追いかける。置いてきぼりにされるたびに彼女が夫の背中に注ぐ視線を、夫は一生知らないわけで──やっぱ財産だよね! 恨みもある! なんて思って、ちょっと溜飲を下げたりして(笑)。でもそれもきっと、ひとつの幸せには違いないんではないかと。

──本作品に登場する二組の夫婦、美紅と浩介、恵と英多もまた、「純度100%の幸せ」を求めてジタバタしていますよね。

「父は女、母は金」で割り切った両親の夫婦関係を見てきた美紅には、「夫婦ってこういうもの」と思いつつ、「夫婦は愛でつながっている」という刷り込みもあるんです。でも実際に結婚してみると自分も夫と打算でしかつながれないことに気づいてしまい、「本当にこれでいいの?」という失望みたいなものがあります。

 その一方で専業主婦の恵は、売れないラジオDJの夫・英多が、自分を純粋に愛していることはわかっている。でもピュアならすべて解決するかと言えばそうではなくて、だらしないし無神経だし子どもっぽいし、何をしても「死ねばいいのに」と思うくらいイライラさせられているんです。

 純粋な愛情と生活するうえでの打算、その両方が揃えば完全なのに、どうしても揃わない。でも不完全でもいい、そう思えることが結局は落としどころなのかなと。

──すごくドライな部分がありながら、決して諦めてはいない、というのを感じます。

 私自身がそうなんですよね。諦めが悪い。家族にも友人にも夫にも、割とすぐ絶望するんですが、その関係を完全には諦められない。なんでなのか、ずっとわからないんですが。