先進のテクノロジーを駆使したエイジングケアから、機能的なメイク製品まで、パイオニアでありながら、時代の一歩先を行くヘレナ ルビンスタイン。その先進性を繙くために、情熱と信念をもって117年前にブランドを創設したマダム ヘレナ ルビンスタインの人生の軌跡と美容哲学にフォーカスする。


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 美容通に限らず、誰もが知っているブランド、ヘレナ ルビンスタイン。肌悩みに応え結果を出すスキンケア、理想の肌を目指すベースメイク、美しい仕上がりのマスカラなどを頼りにしている人も多いはず。その先進的な製品やメソッドの根底にあるのが、創始者であるマダム ヘレナ ルビンスタインの生き方と美容哲学だ。

 1872年にポーランドで生まれ、1902年にオーストラリアでブランドを創立したマダムは、美容家、そして“職業婦人”の先駆けでもあった。ヨーロッパの主要都市からアメリカ全土、そして日本にも進出し、NYの自宅で92歳で人生の幕を閉じるまで、全身全霊で革新的な美を追い求めた。旺盛なチャレンジ精神で世界初の製品をいくつも生み出し、ビジネスの成功と名誉を手に入れる一方で、プライベートでは、妻として、母として、たっぷりと愛を注ぐヘレナ。その愛情は家族だけでなく、芸術家や著述家にも向けられ、長年、彼らの活動を支援した。そして64歳で29年の結婚生活に終止符を打ち、その1年後に再婚。恋においても生涯現役を貫いたのだ。

 先進の科学をベースにエレガントな美を提供し、アヴァンギャルドな開拓者としての姿勢も忘れない。すべては世界中の女性を美しくするために。彼女のDNAは、今もブランドに受け継がれている。

History_マダム ヘレナ スタインとブランドの歩み。

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Originality_ “すでに世の中にあるものは作らない”

 20歳のとき、オーストラリアに単身で移住したヘレナ。知性とエネルギーに満ちあふれ、才気煥発で独立心旺盛な彼女は、30歳でメルボルンにブランド初のビューティサロンを創設した。その後、皮膚科学、生物学、栄養学を学び、ドクターや研究者に協力を仰いで、先進のサイエンスを取り入れる“アヴァンギャルド スキンケア”の礎を築く。ニューヨークの世界博覧会で開催された水中バレエのために開発したウォータープルーフのマスカラも、現在のスタンダードな形であるスティック状のマスカラも、初めて手がけたのはヘレナだった。1954年には化粧品業界初となるビタミン配合の化粧品も発売。常に時代の先頭に立ち、まだ世の中にないものを作っていく。ブランドの成長と進化を支えたのは、美の開拓者魂だ。

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〈左・中央〉簡単に使えるものを、と開発したブラシとマスカラ液が一体化したオートマティックマスカラは、現在のマスカラの原型。〈右〉ドクターの考えを製品とメソッドに取り入れた。

Woman_“女性には美しくなる権利がある”

1930年代には、ビューティクラスを開催したり、エステティシャン向けの講義も積極的に行っていた。
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 ヘレナの母は、ドクター処方のクリームで東欧の寒気から娘たちの繊細な肌を守ってくれていた。また、移住先のオーストラリアは紫外線が強く空気が乾燥。肌ダメージに悩む女性たちに秘伝のクリームを販売したことを機に、美を磨くビジネスがスタート。科学的理論に裏付けられた製品開発だけでなく、マッサージのセミナーやメイクアップレッスンも開催し、女性たちの意識の向上とスキルアップをサポートした。ヘレナは言う。「女性は人生で7回美しくなる。そのチャンスを逃さず時々に応じた努力を重ねれば、常に美しくいられるのだ」と。「世の中に美しくない女性はいない。いるとすれば怠けている女だけ」という言葉も、心に刻みたい。


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