夏前に飛び込んできた「伝説のロックバンド、BARBEE BOYSがついに本格的に再始動」のニュース! いま聴いてもまったく古さを感じさせない、心ざわつかせる独特のサウンド。ありきたりのラブソングの対極にある痛いところばかりを突いてくる歌詞。そしてなにより、超個性的な男女のツインヴォーカル。そんなスーパーバンドの紅一点、永遠のロック・クイーン、杏子さんにインタビュー。“枯れない情熱”の理由は?

ドレス ¥169,000/アン ドゥムルメステール(リフト エタージュ) シューズ¥127,000/ジュゼッペ ザノッティ(ジュゼッペ ザノッティ ジャパン) ベルト(スタイリスト私物)
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「こんな楽しい世界があったんだ」

 厳しい家だったんです。バービーボーイズのデビュー直前、流行りのベリーショートにトライしてもみあげまで切ってしまったら、「そんなに短くするなんて!」と母に叱られ、デパートのかつら売り場に連行されたほど(笑)。デビュー後にCDジャケットの衣装でおへそを出したときも、すごい剣幕で電話がかかってきました。もちろん、デビュー自体も大反対。でも、最終的には「安全地帯と同じ事務所なの? なら安心ね」と許してくれたんですが(笑)。かくいう私自身も生来真面目な性格なので、まさか自分がプロとして歌い続けるなんて想像したこともなく、普通に進学して、普通に就職して、普通にお嫁に行くんだろうな……という未来を漠然と描いていたんです。

 そんな、常に親の言いなりで、またそれをさして疑問にも思ってこなかった私に変化が訪れたのは、大学生のとき。美大生のボーイフレンドがいたので、よく彼のキャンパスに遊びに行っていたのですが、そこに集う才能のある人たちが眩しく見えて、何も考えずに女子大の英文科に通う自分はなんて平凡なんだろうと、常に引け目を感じていまして。そんなとき、誘われてその美大の学園祭で歌うきっかけがあったんです。いまでも不思議なんですが、そのライブは客席とのコール&レスポンスなど、それまで経験したことのない高揚感に包まれていて、「こんなに楽しい世界があったんだ」と突然、新たな扉が開いた感じで。しかも終演後ステージを降りると、以前から素敵だな、格好いいなと密かに憧れていたアーティスティックな着物姿の女性に「あんた、いいね」と声をかけてもらったんです。そのとき初めて「自分が認められた」と思いました。いま考えると、私の「ライブが好き、ライブをやりたい!」という気持ちに火がついた、最初の瞬間だったかもしれません。

 とはいえ、プロの歌手になるなんて考えたこともなかったし、なれるとも思ってなかったから、卒業後の就職先は趣味でライブ活動が続けられる環境優先で選びました。定時で帰れる、福利厚生が整っている、さらに親も納得する会社。その先には、「お嫁に行く自分」の姿が見えていましたし。

「格好いいバンドだなあ」

 バービーボーイズのメンバーに出会ったのは、ライブ活動に励んでいた商社OLの時代です。とあるライブハウスで、男子4人のバービーと私のいたバンドが一緒に出演することになり、「格好いいバンドだなあ」とステージの端から眺めていました。それが縁で、ときたまゲストヴォーカルとして呼ばれるうちに、デビューが決まって。デビューなんてびっくりだけど、まあちょっと活動したらお嫁に行こうくらいの気持ちでいました(笑)。ええ本当に、デビュー後もまだ「お嫁に行くんだろうな」と普通に思っていたんですよ。バンドでずっと頑張るっていう意識は、まるでなかった。振り返ってみると、そこに至るまでのすべてがさしたる努力もなく、ラッキーだったんですね。

 ただ、ラッキーなことには必ずツケが回ってくるもので……。私以外のメンバーは、全員アマチュア時代からプロ志向だったので、そもそも音楽に対する姿勢が全く違っていたし、レコーディングも経験していたり、そのレベルについていくのが本当に大変でした。大変といえば、当時は「ロック」というイメージを大事にしなくちゃいけなくて、四大を卒業したことやOLをやっていたことは内緒。わざとはすっぱなしゃべり方にして「あばずれ」感を演出しようとしたり(笑)、求められる「いい女」ふうの装い方が全然分からなくて、とりあえず桃井かおりさんのアンニュイをお手本にしたりしていました(笑)。

ブラックドレス ¥142,500、フェザーネックレス¥293,500/ともにアン ドゥムルメステール(リフト エタージュ) ディーヴァ ドリームネックレス〈上〉¥325,000、同〈下〉¥610,000、ディーヴァ ドリームブレスレット〈右手〉¥790,000、フィオレヴァーイヤリング ¥2,230,000、フィオレヴァーリング ¥640,000、セルペンティ ヴァイパーリング ¥435,000/すべてブルガリ(ブルガリ ジャパン)
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 いうまでもなく、私がプロになれたのはバービーボーイズのおかげです。92年に解散したのですが、バービーという“母船”がなくなったので、もう音楽をやることはない。そのときはそう思いました。だったら、またOLをやろうかな? まずは派遣からかな? 親が勧めるお見合いもしてみようかな? など、あれこれ考えていたときに、初期のバービーのディレクターだった森川さん(現・杏子さんの所属事務所オフィスオーガスタ最高顧問)と久しぶりに話す機会がありまして。「事務所をつくるから一緒にライブをやろう」と背中を押され、たどり着いた答えは「やっぱり、続けたい」。それはたぶん、私が人生で初めて自分で決めたことだったと思います。こうして、現在に至るソロの道を歩むことになったのですが、ダメだったらお嫁に行けばいいやって、このときも性懲りもなくまだそう思っていました(笑)。