つらい不妊治療の後、特別養子縁組で一人息子の朝斗(あさと)を得た佐都子と清和の栗原夫妻。血のつながりはなくても幸せに暮らす家族のもとへ、ある日突然、朝斗の実母を名乗る女が現れる……。10月に公開される河瀨直美監督作『朝が来る』は、特別養子縁組をテーマに描いたドラマ。自身が1児の母となったころにこの作品を書き、「母になる」とはどういうことなのかを問い続けたと語るのは、原作者の作家・辻村深月さん。「子供を産んでいないから、佐都子は母親ではない」とは、絶対に言わせない――ラストシーンには、そんな思いを込めたという。

養子への真実告知は当たり前、リアルな「特別養子縁組」の現状

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『朝が来る』(文藝春秋)

──あまり知られていない「特別養子縁組」がテーマの作品ですね。

 この題材はもともと編集者から提案されたものなんです。私の子どもが2歳のときでした。ちょうどテレビや書籍で「卵子の老化」が話題になっていたこともあり、不妊治療を題材に小説を書くことはあるかもしれないと思っていたんです。でも最初の打ち合わせの段階でもう「不妊治療を諦めた夫婦が、特別養子縁組をする話を」と提案され、とても驚きました。

 私自身は養子を得ることは考えたことはありませんが、きっと先入観はないし、血縁以外にもさまざまな家族のかたちがある中で、自分はそれを自然に受け入れられる人間だ、と思っていたんです。でも頂いた資料を見て、そういう姿勢こそが先入観だったんだと気づきました。

──具体的にはどういうことでしょうか?

 まず「血のつながりがないこと」を、極力子どもには明かさないものだろうと思っていたこと。でも実際は、子どもへの真実告知は子ども自身の知る権利でもあるし、当たり前のこととしてすることが推奨されていて、実際そうされているご家庭がほとんどです。
 それから養母にとって実母はライバル関係のような嫉妬の対象だろうと漠然と考えていたのですが、養親さんの中には「実母さんがいたからこそ、この子に会えた」と考える人たちがとても多く、彼らが考える家族の中には実母も含まれているのだと気がつきました。家族は養子を囲い込んでつくるのではなく、養子によって広がるものなんですね。すごく衝撃的でしたし、特別養子縁組をめぐるそうした実情をまだ誰も書いていないのなら、私に書かせてもらいたいと。提案してくれた編集者もとても長くあたためていたテーマだったと思うのですが、それを「今の辻村に書いてほしい」と差し出してくれたことも光栄に感じました。

──真実告知が当たり前であることに驚くのは、どこかに「血縁こそが家族」という意識があるからでしょうか?

 古いフィクションの刷り込みもありますよね。自分の戸籍を取り寄せてみたら「養子」と書いてあったとか、20歳の誕生日に親から「話がある」と真実を告げられたとか……本当はそうではないんだと、私も初めて知りました。そういう部分のニュアンスをまるごと伝えるには、共感できる強い物語が必要だと思ったんです。
 小説の世界では、人の悪意やそれによって動く世界を描くと「人間が描けている」と評価されることが多い気がします。でも、人間ってそこまで利己的にもなりきれない。善意や人を信じる気持ちで動くのもまた人間なので、一見「綺麗事」と言われてしまいそうなことも、どうリアリティを持ってそちらこそが真実であると描くのかに、心を砕きました。

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映画『朝が来る』より

──「血縁」がある家族との対照も描かれていますね。

 血縁の中にある「普遍的な不健全さ」も描きたかったんです。何もわからないまま妊娠し、朝斗を出産したひかりを、彼女の母親は頭ごなしに断罪し、「失敗した子」扱いして非難してしまう。そして周囲にはひた隠しにするのに、血のつながりのある親戚には無神経に明かしてしまってもいいと思っている、というような……。
 一方、佐都子と清和の夫妻は、朝斗が何か問題を起こしても、頭ごなしに怒ったり、逆に「この子はやっていない」と強くかばうことはしない。「わからない」とわかっているから、遠慮がちに探り、対話することで理解しようとする。彼らは対話の努力によって、家族をつくろうとしていくんです。

──「産んだ母」と「産んでいない母」の両者が描かれた小説ですが、「母になること」について、何か答えのようなものは見つかりましたか?

「これだ」という答えにたどり着けてはいませんが、いわゆる「母性」とは、社会が定義する枠組みなのかもしれないと感じました。もちろんその枠組みがあるおかげで「母性」を演じられる人もいるでしょうが、その縛りがなければ、もっと自由に、自分らしく愛することができるのではとも思います。 そこは、言葉があることの不自由さを感じますね。

──母という存在をあまりにも神聖視、特別視しないほうがいいのかもしれませんね。

 佐都子は「良妻賢母」であるように見えるかもしれませんが、彼女の中でも葛藤があって、夫と恋人同士だったころから、「母親」「家族」という社会的な要請を意識する中、だんだんと今の「佐都子」になっていった。今回の映画では、まだ夫婦だけだったころの夫婦の関係性も丁寧に描かれているので、それはとてもうれしいです。「佐都子」は時間をかけて今のかたちの「母」になりましたが、それは必ずしも誰かが決めた枠組みに沿った「良妻賢母」である必要はないし、家族もバイアスがないところで結ばれていくかたちをつくれたらいいのにと思いました。

──母親が「○○ちゃんのお母さん」としか呼ばれないのも、そうした社会的な要請の一つかもしれませんね。

 そうですね。社会が規定する「役柄」があるからこそ、折り合いをつけ、受け入れて演じられるという部分もあるとは思うんですよ。冷静に考えたら、自分から「○○のお母さんです」って名乗るの、ちょっと恥ずかしい(笑)。私自身、一人目の子どもが生まれて小児科に連れて行ったとき、看護師さんに「お母さん」と呼ばれても反応できなかったですし。「大人」という役割も同じで、「大人=自分とは隔絶した存在」と思っていた10代のころの気持ちって、今でも自分の中にあるものです。皆、戸惑いながら、どうにかこうにか演じているんでしょうね。

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