「外国人」「LGBT」……カテゴライズすることで生まれる差別

──20年前に来日したサヘルさんには、例えば在留許可取得の手助けをしてくれた給食のおばちゃんや、日本語を教えてくれた校長先生など、親切な方たちとの出会いがあったと聞きます。対して映画『西北西』でナイマが経験するのは、それとは正反対の不寛容な現代の日本社会です。ご自身は当時と現在とを比べて、日本社会の変化を感じますか?

 日本の方が「日本は閉鎖的」「冷たい」「不寛容」とおっしゃるのを聞くと、そんなふうに思ってほしくないなと思います。他の国と比較すれば、日本は外国人へのあからさまな差別は少ないし、優しい国だと思いますよ。

 私が来日し埼玉県に住んでいた頃は、「スーパーでいつも試食コーナーにいる外国人の母娘」なんていうとものすごく目立ちましたが、今は外国人の数も増えていますし、差別の問題もきちんと提示され、異文化交流の場も増えていますよね。外国人の居住に率先して取り組む自治体もありますし、地域の方の理解も進み、外国人も住みやすい社会になりつつあると思います。こうした流れが持続してほしいですね。

 ただ最近は、偏見や差別意識を持つほんの一部の人たちの発言がSNSを通じて拡散し、クローズアップされてしまうところがあります。本当はそれとは逆の、差別をしない、差別を受けている人たちを支援してくれている人たちもたくさんいるのですが、それはなかなか見えてこないんですよね。

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〈左〉ケイによって、今まで触れることのなかった新たな世界を知るナイマ。クラブでのシーンは、「籠の中」から外へ出た彼女を象徴する場面。〈右〉ナイマの愛鳥、「バロ」。撮影が始まる前から実際にサヘルさんが飼うことで、リアルになついていたのだそう。

──映画は価値観の多様性を描いた作品でもありますが、そうした問題で、サヘルさん自身が最近気になっているニュースなどはありますか?

 ある雑誌に掲載されたLGBTを巡る一連の記事です。なぜあんな記事が掲載されたのか、理解できません。いくら雑誌を売りたいからとはいえ、と思うと同時に、それをやれば売れると思う感覚にも違和感を覚えます。でもあの記事のおかげで「これはおかしい」と社会がはっきりと認識できたという意味では、それなりの意義もあったのかもしれません。

 国籍や民族、セクシャリティにしても、「外国人」「LGBT」となぜカテゴライズするのかなと、私は思うんです。この映画の初日の舞台あいさつで、「これはただの恋愛映画です」と監督はおっしゃっていたのですが、本当にその通り。純粋に恋をして心が動く、その相手がたまたま女性だったというだけ。わざわざカテゴライズして、「普通とは違う」と決めつけることないのにな、と。

 私自身もみなさんと同じで、自分の価値観と異なるものが目の前に現れたとき、どう対処していいかわからないことはあります。でもそれは単に慣れてないだけ。ですから映画や本などで得る知識はもちろん、当事者の方々の声に耳を傾け、交流を持つことで、知っていきたい。

 慣れていないと、はじめて渡るスクランブル交差点みたいなもので、どこをどう歩けばいいのかわからずに立ちすくんでしまいますよね。でも慣れてきて、自分の中で交通整理がされてくれば、ここをこう通ればいいのかとわかってくるだろうし、自然と歩けるようになるんじゃないかなと思います。