プリンとアイスクリーム、そしてフルーツ。プリン・ア・ラ・モードは、シンプルゆえに店や作り手の個性が表れるデザートだ。懐かしさ漂ううるわしの大人のスウィーツ探訪記。第3回は、アートのような一皿を堪能しに、銀座の中心の高級喫茶室へ。

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淑女たちに愛された明治生まれのハイカラな喫茶室

 今から88年前。1931年(昭和6年)に刊行された安藤更生『銀座細見 』には、こうある。

「僕は資生堂が好きである。ここに漂っている空気が大好きなのだ。ここのテーブルに坐っていると本当に銀座にいるような気がする」

 この年、銀座の街はすでに東京一のモダン都市という地位を確立していた。その中心で、「資生堂パーラー」はハイカラな高級西洋料理店として親しまれていた。

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1902年頃の資生堂薬局の店内。アメリカ製のソーダ水製造機が右手に置かれている。

 その起源は明治にまで遡る。1902年(明治35年)、銀座の「資生堂薬局」が薬局内の一角に「ソーダファウンテン」をオープン。日本発のソーダ水とともに、当時まだ珍しかったアイスクリームの製造販売を始めると、たちまち流行りのスポットとなった。

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1928年、「資生堂アイスクリームパーラー」のオープンを知らせる案内状。花椿マーク(原案は初代社長の福原信三)、唐草模様、「SHISEIDO」の英語書体など資生堂のさまざまなデザインを手がけたイラストレーター山名文夫の手によるもの。

 資生堂の飲料部門が店舗として独立したのは1928年(昭和3年)。店名は、「資生堂アイスクリームパーラー」。カレーライスやチキンライスなどが味わえる、東京でも数少ない西洋料理店だった。もちろん、人気メニューだったアイスクリームやソーダ水、紅茶、コーヒー、洋菓子などの提供も継続。店内では、洋髪や洋装の女性たちが集い、おしゃべりに興じたという。

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1935年の店内。シャンデリアのつられた中央部は吹き抜けになっている。店内は淑女たちでにぎわい、当時の文豪や映画人もモダンな空気を味わいに足繁く通ったという。冒頭の『銀座細見』(1931年)は、こうした雰囲気をも伝えた一文なのだ。