理論物理学の博士号をもち、有名進学予備校で数学の講師を務める一方、自ら主宰するソムリエスクールで教鞭を執るほか、飲食店経営やワインと日本酒の輸出入業も行うなど、ユニークかつパワフルに活動するワイン研究家、杉山明日香さん。本連載では、彼女が毎月視察に訪れるというシャンパーニュ地方の新潮流にフォーカス。

サッカー選手から、シャンパーニュ醸造家へと転身

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フレデリックさんとドメーヌのサロンでテイスティング。

 みなさん、こんにちは。「杉山明日香のシャンパーニュ紀行」第17回は、シャンパーニュ地方の中心都市のランスから車で20分ほど、モンターニュ・ド・ランス地区の西側、プルミエ・クリュのエキュイユ村に位置する「フレデリック・サヴァール」を訪れました。後半では、3代目当主のフレデリック・サヴァールさんご自身のお話を伺いました。

明日香:(ドメーヌのサロンにて)フレデリックさんご自身の経歴を詳しく教えてください。

フレデリック:私はいま49歳で、このドメーヌ・サヴァールの3代目当主ですが、実は若いころはずっとサッカーをやっていて、セミプロレベルのサッカー選手だったんです。ただ、ケガをしたのもあり、サッカーで生計を立てることは難しいなと感じました。そこでいろいろ考えて、アヴィーズの醸造学校で学ぶことにしました。そこから父の手伝いをするまでは自然な流れでしたね。ずっとサッカーをやってきて、サッカー以外の何かで生計を立てなければ、と考えたときに、やはり最も身近にあったのが畑の仕事だったので。

明日香:元サッカー選手! “畑”という文字通り、本当に異なる“フィールド”にいらしたんですね。実際に家業を継ぐにあたっても、自然な流れでいらっしゃったのでしょうか。

フレデリック:いえいえ、とんでもない。もともとワインやシャンパーニュに対して私自身がものすごく興味をもっていたり、特別に敏感であったりしたわけではないので、最初は本当に大変でした。家業を継ぐにあたり、私なりのアプローチで、よりよいものが造れることを父に証明する必要があったので。ただ、いったんこの道と決めてからは、サッカー選手としての経験が助けとなることも多くありました。チャレンジする対象がサッカーからシャンパーニュ造りに変わってからも、以前と同様に情熱を注ぎ、努力を続けることができたんです。父と仕事をするようになって、2005年までに私オリジナルのシャンパーニュを造ることができたら最高だと思うようになり、それがひとつの目標になりました。

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〈左〉サロンのすぐそばにもボトルや樽がびっしりと並んでいる。〈右〉ドメーヌの入り口にある看板。

明日香:いいお話ですね。学問でもビジネスでも、自分自身を注ぎ込めると思えるようなものに出合えるのは素晴らしいことだという実感は、私にもあります。何事もストイックに取り組むことが重要ですよね。

フレデリック:そうですね。フランスでは、ビジネスにおいて初代が会社を築き上げ、2代目がそれを維持または発展させ、3代目がそれを台無しにする、とよく言うんですよ。私は「ダニエル・サヴァール」を「フレデリック・サヴァール」に変え、いまは自分の造るシャンパーニュを世界中に届けられていることをとても誇りに思っています。

明日香:世襲ビジネスの難しさについては、日本でも同じようなことが言われています。フレデリックさんは3代目ですが、家業は発展し続けていらっしゃいますね。