「絵を描くときに写真を撮られるんですか? と聞かれることがあるんですが、私にとっては〈見ること〉そのものが重要なので、写真に撮ることはもちろんないんです。人間の眼は、焦点を合わせて見られる範囲がすごく限られていて、樹を見上げて描くときも、無数に焦点をずらして見ていて、さらに正確に言うと、見上げて見た後に下を向いて描くので、実際に描いているときは、見た記憶で描いていることになります。そしてこのとき、私は視覚だけでなく、さまざまな知覚、身体全体で見ていることになり、当然この見え方、捉え方は写真とはまったく違うものになります。見れば見るほどに見え方は本当にはかり知れなく、そこに少しでも近づくために、矛盾しているようですが、はかり知れないという感覚をリアルに感じ続けることが必要で、そのために私は樹を見上げ、描き続けている気がしています」

 庭や近くの神社のなんでもない、でも、そこにしかない樹を描く。言葉にするとそれだけなのだが、日高の絵画を観る者は、その枝や葉ひとつひとつのディテールを目で追いながら、また視線を後ろにひいて樹と余白(空)の全体の構図を追いながら飽きず絵の前に立ち続ける。それは、そこに一本の樹以上のものを感得しているからなのだろう。では、いったい私たちは日高の絵に何を見ているのだろうか。日高は言う。

2017年にヴァンジ彫刻庭園美術館で行われた「空と樹と」の展示風景。Photo by Kenji Takahashi

「枝や葉を対象として描くことで、その向こうに生まれる空間、距離を立ち上げてみたいんです。これは写真に生まれる表現とはまったく違う、絵画でこそ生み出せるものではないでしょうか」

 不思議なのは、樹は描かれているが、空の部分にはなにも描かれず余白となっているのに、たしかに空へと続く空間の起伏を見てしまう。現在のシリーズ「空との距離」、このタイトルは日高の絵画の秘密の一端を表しているといえる。

最新作となる庭の木蓮を描いた《空との距離Xlll》2017 麻紙・岩絵具 240×240cm