――2冊目はポール・オースター『冬の日誌』。60代も半ばにさしかかり、人生の冬の季節を迎えた現代アメリカを代表する作家が、自身の肉体と感覚にまつわる記憶を流れるような筆致で綴ったものです。

江國 これは『内面からの報告書』という本と対になっているんですよね。両方ともすばらしいのですが、こちらは「人の人生が何でできているか」っていうことがとくにわかる感じがして。それまでの人生をまとめろって言われても、ふつうはまとめられないですよね? 何を描けばいいのかわからなくなってしまう。でもこの本は、この分量で大事なことが全部書いてあるように思える。その場合の大事なことっていうのは、けっして何年に生まれてどの学校に行って、ということじゃないんです。いうなれば、すべて細部。

――たとえば、ただ単にメンバーが足りないという理由でオースターのお母さんが子どもたちの野球に混ざって、まさかの特大ホームランをかっ飛ばすエピソードなんかが、とりたてて脈絡もなく差し挟まれる。

江國 そうそうそう! お母さんについて語るときに、最も大事なことのひとつとしてそれを書いたっていう。母親について語るときって、ふつうは感謝とか苦労とか夫婦の関係とか、親離れにまつわる忸怩(じくじ)たる思い、なんていったものがこれみよがしに綴られるじゃないですか。そういうものをまったく入れてないところが好きです。前の奥さんとのことも、感傷的ではなく逃げずに潔く書いてある。絶妙な抑制の利き具合だなと。人に伝えたいという欲望のために書いているのではなく、とても正しくプライベートな本であるところがいいですね。

ポール・オースター『冬の日誌』(柴田元幸=訳、新潮社)。「オースターの小説に関しては、初期の頃はとくに、登場人物のプライベートなことをあまり書いてくれない点が自分にはピンとこなかったのですが、この本と『内面からの報告書』を読んだことでようやく顔が見えた気がしました」(江國)。
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――最後はミシェル・ビュトールの『心変わり』。離婚を決意した男が、愛人が住むローマへと向かう電車の車中で、さまざまにめぐる心の風景に翻弄されるというもの。

江國 実はこれともう一冊、グレアム・グリーンの『情事の終わり』を入れようか迷いました。いずれにしても、どちらも恋愛の終わりを描いたものです。その2作を「基本の自分」を表すリストに入れるのは若干寂しい気もするのですが……正直なところ、それが私という人間なのでしかたがないというか(笑)。「恋が終わる」という部分と「冷静さを取り戻す」という部分に安心するんです。

――一般的には、「終わらない」ことに安心する人のほうが多そうですよね。

江國 私は希望よりも絶望に安心するたちなので。とはいえ、この場合の「絶望」って、つらい、死にたいっていうことではなく、文字どおり、何かを望んでいる状態よりも、望んでいない状態のほうが安心できるっていうことなんです。『ダイアナ~』を読んで安心する気持ちにも通じている気がします。

ミシェル・ビュトール『心変わり』(清水徹=訳、岩波文庫)。語り手が主人公を「きみ」と呼びならわす二人称小説にしてヌーヴォー・ロマンの先駆け的作品。「やっぱり小説としてよくできていますよね。主人公といっしょに電車に乗っていくかのように、読者をとても自然に、着々と物語のなかへ連れていく。そういう言葉の力を思い出させてくれる小説です」(江國)。
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「安心」と「絶望」をはじめ、さまざまなキーワードが独特のロジックで結びついている江國さん。それは物語と現実、創作と生活の関係にもつながっている。後編もお楽しみに。

Profile
 
江國香織
1964年東京都生まれ。87年「草之丞の話」で「小さな童話」大賞、92年『きらきらひかる』で紫式部文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、04年『号泣する準備はできていた』で直木賞、07年『がらくた』で島清恋愛文学賞、10年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、15年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞を受賞。最新エッセイ集『物語のなかとそと』(朝日新聞出版)のほか、井上荒野との共著『あの映画みた?』(新潮社)が6/29に発売。

インタビュー・文:倉本さおり
ライター、書評家。『毎日新聞』「私のおすすめ」、『文學界』「新人小説月評」、『小説トリッパー』クロスレビュー担当のほか、『週刊新潮』にて「ベストセラー街道をゆく!」連載中。共著に『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』(立東舎)。

Interview&Text:Saori Kuramoro Photos:Kosuke Mae Edit:Yuka Okada

続編
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