前編では「基本の自分に戻りたいとき」をテーマに、作者と読者、両方の立場から本の魅力について語ってくれた江國香織さん。そんな「物語」への信頼と愛が凝縮された散文集が最新刊『物語のなかとそと』だ。

『物語のなかとそと 江國香織散文集』(朝日新聞出版)。「文字には質量があり、文字を書くと、その質量分の小さな穴が、私にあく」という目の覚めるような一文をはじめ、文章の美しさ、鮮やかさに陶然となる。「装画は宇野亜喜良さんの『樹皮の少女』という作品。硬質で、ちょっぴり変な感じが自分の書きたいもののイメージにぴったりで、すごく気に入っています」(江國)。
[画像のクリックで拡大表示]

――『物語のなかとそと』は、ここ20年のあいだに書かれた夥(おびただ)しい数のエッセイや掌編、手紙、日記といった文章群のうち、単行本に未収録のものからさらに選りすぐった散文集ですよね。テーマはずばり「書くこと」と「読むこと」。年代がバラバラに収録してあるにもかかわらず、ご自身のエッセンスが非常に純度の高い状態で凝縮されているように感じました。

江國 実は、いろんなところに書いたものをまとめた本を出すのはどうしても気乗りがしなくて……これまではほとんどお断りしていたんです。というのも、そういう文章って1回ずつ、その場でしか読まれないもののつもりで書いているので、たいていは言いたいことを全力で言っているような性格のものが多い。つまり、そんなものを集めたらトゥーマッチなものになってしまうんじゃないかと思って。けれど、編集のかたからいただいた「読むことと書くことに特化した散文集をつくりませんか」っていう提案が私にとっての殺し文句になりました。そこでどんなものができあがるか、自分でも見てみたいっていう気持ちがあったし、なにしろ読むことと書くことに関してだけだったら、私は絶対、自分に嘘をつかないという自覚があるので。

――本文では「昼間の時間の八割は本を読んでいるか書いているかで、家事その他、現実に対処する時間はたぶん二割」(!)という、なかなか衝撃的なスケジュールも公開されていますよね。あきらかに「物語」のなかの世界に依存した生活を送っている一方、乖離(かいり)しているはずの「現実」の感覚が不思議となまなましい手触りで浮かび上がってくる点が、非常に興味深かったです。

江國 書く、ということはある意味、自分に穴をあけて外側にこぼす行為だと思うんです。だから、傍(はた)から見たら孤独な作業に映るかもしれないけれど、私にとってはむしろ外と「つながる」作業でもある。また、読む、というと、ややもすればページの向こう側のあちこちに旅をする感覚のほうばかり喧伝(けんでん)されがちですが、本を読む体が現実に存在する以上、それは「ここ」にい続けるということでもあるはず。だから片方ばかりを語るのではなくて、「ここ」と「そこ」がいつも同じ分量だけあるということを意識しないと、正確に語ったことにはならないだろうな、と。