世界中で起こっている悲劇に「個人」は何を思うのか

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オノ・ヨーコ《色を加えるペインティング(難民船)》1960/2016年 展示風景:「オノ・ヨーコ:インスタレーション・アンド・パフォーマンス」マケドニア現代美術館(ギリシャ、テッサロニキ)2016年
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ジリアン・ウェアリング《自分の人生つかみきれない!》(左) 《絶望的》(右) 「誰かがあなたに言わせたがっていることじゃなくて、あなたが彼らに言わせてみたいことのサイン」シリーズより 1992-1993年 Courtesy: Maureen Paley, London

 ちょうど同時期に「カタストロフと美術のちから」と題した展覧会が開かれている。カタストロフとはここでは「大惨事」を意味する。

 森美術館はこれまで節目ごとに「幸福」や「愛」をテーマに企画展を開催し、現代美術史における同館の姿勢を示してきた。今回、開館15周年記念展で提示されたのは、驚くほど直接的に現代社会を憂い、鑑賞者とともにこれからの未来を占おうとする態度だ。

 本展は2つの章で構成される。セクション1では「美術は惨事をどのように描くのか―記録、再現、想像」として、世界中で起こっている大小さまざまな悲劇を主題とした作品を紹介する。セクション2では「破壊からの創造―美術のちから」として、現代の惨事に対峙し、創作を通して立ち向かう作家たちの作品が並ぶ。

 本展の特徴のひとつは、どんなに凄惨で残酷な現実をテーマにしても、その表現に冷静な丁寧さや繊細さをもつ作品を選んでいることだ。災害や事件が起きるたび、メディアやSNSが執拗に垂れ流す露悪的で殺伐としたイメージが見る者の精神に残していく傷とは、はたして必要悪なのか。これに対して、アートは観る者の意識に何を残すことができるのか。作家の品性と知性を問われるこの問題についても、本展は厳しく問いかけてくる。

 人智の脆弱さをあらわにする大災害。世界を崩壊させようとしている紛争と難民排斥。対立する多数派と少数派の闘争。これらはすべて地球規模で起きているが、直接そこに関わっているのはあくまで「個人」の集合体だ。一方、「個人」に襲いかかる不幸や絶望のかたちは千差万別だが、私たちは想像力によって他人事でない切実さを理解し、共感することができる。ならば、前者も同じ理解や共感が可能ではないのか?

 本展が伝えるのは、常にアーティスト「個人」の視点から、このような人間の行動と責任に対してアイデアを提示してきたアートの現在地である。そこには外科手術や特効薬のような即効性はないが、破壊から創造へ、よりよい社会の再生のために生きる治癒力と思慮深い視点を与えてくれる、苦い良薬になりうるはずだ。



「ムンク展―共鳴する魂の叫び」
会期:2018年10月27日(土)~2019年1月20日(日)
会場:東京都美術館 企画展示室
https://munch2018.jp


「カタストロフと美術のちから展」
会期:~2019年1月20日(日)
h4 会場:森美術館
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/catastrophe


Text: Chie Sumiyoshi Editor: Kaori Shimura

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