映画にせよ小説にせよ「受け取る人の人生に接続して変化をもたらすようなものが好き」だという川村元気さん。彼の中では、読書と体験と創作が実に有機的につながっている。

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曰く、「人間の葛藤の根源は“記憶”にあると思う 」(川村)。よい記憶よりも、罪の記憶や恥の記憶のほうが他者の物語を呼び覚ましやすいという。

 ――1冊目は向田邦子の『思い出トランプ』。直木賞受賞作となった「花の名前」、「犬小屋」、「かわうそ」が収録されている短篇集です。

川村 向田邦子さんは、もともと映像をつくっていた人が小説を書いたという点ですごくシンパシーを感じていて。実際、彼女の小説って同業の自分が読むと、カット割りや画角を決めてから文章を書いているなってわかるんですよ。これは流し撮りなのか固定なのか、ここには音楽が流れているのか否かということが如実に伝わってくるんです。

 ――確かに、どの短篇を読んでも鮮やかに映像がたちのぼってきますよね。例えば、不注意から子供の指の先を包丁で切り落としてしまった母親のやるせなさを描いた「大根の月」とか。

川村 そう。『思い出トランプ』という書名は「人生における忘れ得ぬ断片」といった意味合いも込められていると思うのですが、とりわけ後悔が残る瞬間を捉えるのがものすごく巧(うま)い。自分にとって、映像出身の文章の師だと思っているので、何回も読み直しています。

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向田邦子『思い出トランプ』(新潮文庫)。浮気相手だった部下の結婚式に妻と出席する男の思いがけない煩悶など、人間の狡(ずる)さ、弱さがもたらす一瞬のドラマを明晰に描き出す。「どのエピソードにも、読者自身の後ろめたい記憶を引きずり出してしまう力があります」(川村)。

 ――2冊目はアイスランド出身の作家、オラフ・オラフソンの『ヴァレンタインズ』。O.ヘンリー賞受賞作を含む短篇集です。

川村 これは1月から12月まで、各月の名前が冠された12篇が順番に収められている作品集なのですが、ちょうど僕がこの本に出合ったときに書いていた『四月になれば彼女は』という小説も、4月から翌年の3月までの1年間の出来事を同じように章立てした物語だったんです。しかも、何かのきっかけで恋愛感情を失ってしまった人たちを描いている、という点においても共通している。まったく違う島国にいて同じことを考えている人がいるんだなあと……面白いような、怖いような気分になりました(笑)」。

 ――いずれも淡々とした筆致ながら、愛情に亀裂が入る瞬間が緊張感たっぷりに切り取られていますよね。

川村 人間って、覚えていることと忘れていることのバランスで行動が決まっていく生き物だと思うんです。さらにいえば、男女の違いも結局はそこにあるんじゃないかなと。つまり性格や感情の問題ではなく、それぞれが覚えていることと忘れてしまったことの差がすれ違いにつながっていく。その機微を見事に捉えた傑作だと思います。

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オラフ・オラフソン『ヴァレンタインズ』(岩本正恵=訳、白水社)。著者はソニーなど世界的エレクトロニクス企業で活躍してきたビジネスマンでもある。「向田さん同様、小説に対するアプローチ法が自分と似ているなと。アイスランドという土地柄を感じさせるドライな空気感もいい。死が近い場所の匂いがします」(川村)

 ――最後は有吉佐和子の大ベストセラー『恍惚の人』です。妻の急死をきっかけに認知症の症状が進み、ひたすら空腹を訴えて徘徊するようになってしまった舅と、その舅にいじめられてきた長男の妻による介助生活を通じて、さまざまな老後問題が描かれていく。